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清田(きよた)日記 ~男50歳からの資格取得 第6回資格取得への道 その3~

2013年11月の行政書士試験が終わりました。


3時間ノンストップ試験も3度目となり、免疫が少し出来たのか、なんとか頭真っ白にはならずに試験を終えました。
とはいえ、やはり手ごたえはありませんでした。
ちなみに試験の合格発表は、翌年(2014年)の1月末で、受験生は相当の期間、結果を待つことになります。


他の資格試験も同じかも知れませんが、試験当日の夜から資格取得の専門学校からネットで正解予想が発表されます。
試験問題は持ち帰れますので、当然ながら私も答えあわせをしてみました。
法令および一般常識の選択問題は、手ごたえがなかったわりに意外と出来ていて、6割程度の正解率でした。
合格する方々は、選択問題では7割以上の正解率を示すことが多いそうですので、決して素晴らしい結果ではないのですが、自分としては少し満足感を持ったことを覚えています。


とはいえ、記述問題の正解予想を確認したところ、自分が書いた内容と模範解答予想のあまりの違いに愕然(がくぜん)となったことも思い出します。
記述の配点は、1問20点の計3問60点ですので、合否の大きな鍵となるのですが、どう甘く見積もっても3割程度の得点しか得られていないだろうことは、容易に判断できる状態でした。


翌年の結果を待つまでもなく、次年度の受験に向けて頑張るしかないと気持ちを切り替えました。
この時の自分の気持ちとしては、法令科目に関して、条文や判例の読み込みも不充分だったのに、それなりの結果だったのだから、次年度に向けてやるべきことをやれば、きっと合格すると思っていました。


その後、初めて六法や判例集を購入し、次年度に向けた補修をスタートしました。
自分の弱点である憲法を含めた条文の読み込みと有名判例に限らず、多くの判例に触れる必要がありました。


2回目の行政書士試験に向けて、そうした勉強を続けていた2014年1月末、1回目の行政書士試験の結果が郵送されて来ました。前々回の日記で合格基準は書きましたが、法令および一般常識で足切りにはならなかったものの、合計180点以上の得点が必要なところ166点との結果に終わりました。


ほぼ自己採点通りの結果で、やはり記述は3割程度の得点しか獲得できていませんでした。もっと正確にいうと、記述は3割にも満たなかったのです。(非常に寂しい。)


とはいえ、この時点での私の課題点が明確に見えてきました。(あくまで前向きです。)条文、判例の読み込み。法令科目として民法、会社法。そして、記述問題が課題でした。この時の私は、そうした弱みを強みに変えるべく、1年間頑張ろうと燃えていました。


今から思えば、問題の問い方が変わると難易度が大幅に変わることなど、頭の片隅にも無かったような気がします。
皆さんも経験あるかと思いますが、本当に理解したことは、少々問題の問い方が変わっても充分対応できます。
他の人に教える場合でも、本当によく理解した人が教えてくれる場合と、そうでない人が教える場合では、教えられた人の理解度が大きく違ってくる状況に似ています。
この頃、本当に理解することが非常に大切なことであることを、どこかに忘れた状態だったように思い出されます。
まさに「しのごの言わず、覚えればいいんだ!」との心境でした。


「単に覚えるだけでは、本当の理解といえない。」
そうした道理を今なら冷静に判断できるのですが、この時の私は、弱点となっている課題を「単なる知識」ととらえ、1年かけてしっかり覚えれば、2回目の受験は必ず合格できるとシンプルに思っていました。
そして、その自分が決めたレールに乗って、ある意味自信満々に走り続けたのです。

次回。2回目の受験に突入です。
どうなる清田。
(つづく)


男50歳からの古代史構想学(5)苦行、三輪山登拝

ついに第五回目までこぎつけました。古代史勉強家の大和健です。
今回はまず纒向ツアーのメインイベントであった三輪山の登拝を紹介したいと思います。

三輪山は奈良盆地の南東部、奈良県桜井市にある標高467mの山で、三諸山(みもろやま)とも呼ばれ、御諸山とも記されます。
古代より自然崇拝の対象とされ、山そのものがご神体であるため、神職以外は入山できなかったのですが、明治以降は入山心得を守れば誰でも登れるようになったそうです。
ご神体に登ることから、登山ではなく登拝と言われています。

なお、登拝時の写真撮影は厳禁。そして後日には、登拝時に見たことを口外してはならない、ということを耳にした(目にした?)のですが、あらためて大神神社のサイトで確認してもそんなことは書いていないので、当たり障りのない範囲でお伝えします。
これから三輪山へ行ってみようと考えられている方の参考になればと思います。


三輪山への登拝は大神神社の摂社である狭井神社での受付から始まります。
300円の登拝料を支払うと三輪山参拝証と記されたタスキが渡されます。
これは記念になるので持ち帰りたくなるのですが、登拝後に返却しなければなりません。
安全に下山したことを確認するためとのこと。
そうなんです。三輪山登拝は危険を伴う登山ということです。
なのに、何の下調べもしていなかった私はこの後、思い知らされることになるのです。

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6月の初夏というにはあまりに厳しい日差しの中、帽子もタオルも持たず、さらにはあろうことか、給水の備えもせずに登拝に挑んでしまったのです。
当然のことながら途中に自販機などなく、休憩個所もほとんどありません。
いったん入山してしまうと頂上を目指してただひたすら歩を進めるのみ。


苦行でした。


帽子、タオル、水を持たなかったことを全身全霊で後悔しました。
やっとの事で頂上にたどり着いたものの、日陰がなく、座るベンチもなく、山頂の高宮神社で手を合わせ、磐座を確認して早々に下山しました。
下山後は狭井神社境内に湧き出るご神水でようやくノドの、いや全身の渇きを潤すことができました。


<<佐々木編集長の割り込み>> ※編集長も古代史ファンなのです
「磐座」と書いて、「いわくら」と読むのですね。
言葉どおり、大きな岩のことで、「岩倉」と書く場合もあります。
日本全国の多くの神社で、「磐座」がご神体となっています。
古代日本の信仰は、「磐座」信仰であったと言えるかもしれません。
たとえば、阿智神社の磐座(Takacchiさん提供)
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(割込、以上)


往復で約2時間。
季節や天候にもよると思いますが、もしこれから行ってみようという方がおられたら、それなりの備えをお勧めします。
狭井神社では杖を貸してもらえるのでそれもあった方がいいでしょう。
ご神体に失礼になるからということか、靴を脱いで裸足で登拝する人を見かけましたが、危険だなと思いました。


時計はすでに12時を回っていました。
実はこのような苦行のあとに私たちを待っていたのは至福のひと時だったのです。
続きは次回。


<おまけ>
三輪山の説話は日本書紀や古事記の崇神天皇紀に出てくるのですが、ここで日本書紀のほうを紹介します。
有名な話なのでご存知の方も多いかと思います。


卑弥呼ではないかとも言われている倭迹々日百襲姫命(やまとととひももそひめ)という女性がいました。
彼女は大物主神と結婚しました。しかし夫は夜にしか現われず、その容姿を知ることができませんでした。
あるとき夫に「その姿を見たいので朝までいて欲しい」と懇願し、夫は「その気持ちはよくわかるので明朝にあなたの櫛笥(櫛を入れる箱)に入っていよう、ただし、私の本性に驚くなよ」と伝えました。
彼女は夜が明けてからその櫛笥を見てみました。すると、とても麗しい小蛇がいました。
それで驚いて叫んだところ、夫は恥ずかしく思ってすぐに人の形になりました。
「お前、我慢が出来ずにわたしに恥をかかせたな。 わたしも山に還って、お前に恥をかかせよう」
それで大空を飛んで御諸山(三輪山)に登りました。
彼女はそれを仰ぎ見て後悔して、ドスンと座りました。
そのとき、箸で陰(ほと)をついて亡くなりました。
それで大市に葬りました。世の人はその墓を箸墓と名付けました。


箸墓が卑弥呼の墓であるといわれるひとつの根拠になっている説話です。
その箸墓は陵墓参考地「大市墓」として宮内庁が管理しているために柵がめぐっていて、周囲から眺めることしかできません。
しかしそれにしても、箸墓の名の由来を伝えるのなら、もう少し上品な話にできなかったのでしょうかね。


大和 健(やまとたける)
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ブログ:古代日本国成立の物語
http://blog.goo.ne.jp/himiko239ru



男50歳からの古代史構想学(4) 纒向でのヒラメキ

こんにちは、大和健です。今回で第4回目です。
「古代史構想学」というタイトルに見合った内容になっているのか少し不安がありますが、思うままに書いていきますのでこれからもお付き合いください。
今回は宮崎ツアーに先駆けて訪れた奈良の纒向遺跡について書きたいと思います。


纒向遺跡は奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯にある弥生時代末期から古墳時代前期(3~4世紀)にかけて栄えたと考えられている集落遺跡です。
3世紀といえば卑弥呼の時代にあたります。卑弥呼や邪馬台国が登場する中国の史書である「魏志倭人伝」には、西暦239年に魏の皇帝が卑弥呼に対して「親魏倭王」の称号とともに金印を授与したことが記されています。まさにその時代に繁栄していたのがこの纏向遺跡なのです。


神殿ではないかと言われている大型建物跡、祭祀に用いたと思われる2千個もの桃の種、同じく祭祀用と思われる導水施設、日本各地から搬入された土器、護岸工事が施された水路などが発掘される一方で、人が住んだ住居跡がほとんど出ていないため、政治や祭祀を執り行うことを目的に建設された政治都市であると言われています。
また、初期の前方後円墳である箸墓(はしはか)や、その前方後円墳の原型と言われているホタテ貝型古墳がいくつも存在することから、大きな政治勢力がこの地にあったことは間違いないのです。
これらの状況に加えて魏志倭人伝や記紀の記述を読み解いた結果として、私はここが邪馬台国であったと考えるのが最も蓋然性が高いと思うに至りました。


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(左側が北です)


さて、話はちょうど4年前の2013年6月16日にさかのぼります。
朝9時、宮崎ツアーの企画メンバー3人は近鉄大阪線の桜井駅で落ち合い、レンタサイクルを借りて「桜井駅→三輪山登拝→桜井市立埋蔵文化物センター→茅原大墓古墳→ホケノ山古墳→箸墓古墳→纒向石塚古墳→辻地区(大型建物跡発掘地)→纒向勝山古墳→纒向矢塚古墳→桜井駅」という行程で巡りました。
この実地踏査においても私なりに得ることがたくさんあったのですが、何よりも桜井駅に降り立ったときに閃いたことが最大の収穫でした。


日本書紀によると、初代天皇である神武天皇から第9代の開化天皇までの神武王朝における皇居および陵墓のほとんどが、この桜井駅よりも南の磐余(いわれ)や葛城の地にある一方で、第10代の崇神天皇から3人の天皇の宮は北側の纒向近辺に営まれ、崇神天皇と第12代景行天皇はその陵墓も同じく纒向にあるのです。
私は約半年ほどの思考の結果、第9代までの神武王朝と第10代以降の崇神王朝はつながっていない別々の王朝であると考えるようになっていました。そして閃いたのです。つい今しがた乗ってきた近鉄大阪線はこの二つの王朝を分断する国境線ではないか!


神武天皇は九州において倭国との戦いに勝利したあと、大和を目指して東征し、そして奈良盆地の南部の葛城・磐余に進出して勢力基盤を築いた。
一方で崇神天皇は纒向を拠点に大きな勢力をもち、魏志倭人伝に記される邪馬台国として連合国家である倭国を統治していた。
狗奴国王の神武は倭国の本丸である邪馬台国に乗り込んできたのだ。そして近鉄大阪線を挟んで両国が対峙することとなった。


私の頭の中でこの図式ができあがった瞬間でした。


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次回はこの纒向実地踏査でのエピソードを紹介しましょう。


大和 健(やまとたける)
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ブログ:古代日本国成立の物語
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清田(きよた)日記 ~男50歳からの資格取得 第5回資格取得への道 その2~

テキストのあと2回の精読が終わりました。
「精読」と記しているのですが、この時の状況は理解できているといった状態からは、ほど遠いものでした。
暗記が得意だなどと言っておきながら、実に恥ずかしい状態で、自分には丸暗記できるような能力は無いと、つくづく実感しました。
一つ一つの理屈や背景が分かっていないと拒否反応が生じてしまって、理解できないのです。


数ある法令科目の中でも、特に民法に苦しんでいたことを思い出します。
この時、資格取得の専門学校に通うことも考えたのですが、日々の業務もあり、それは難しい状況でした。そしてやはり、性格的にも無理だと思っていました。


ここは行政書士試験の過去問題を掲載しているネットを利用して、徹底的に問題を解いてみようと決めました。前回の日記でも触れましたが、そのネットの過去問題には、解答だけではなく、ありがたいことに上質な解説まで載っています。
この状況打破に、その解説に教えを乞うことにしようというわけです。
確かその年(2013年)の4月頃から、特に土・日を利用して、「掲載された全ての過去問題を最低でも2回は解くぞ!」と苦しみながら問題を解いたことを、懐かしく思い出します。
この過去問題の鍛錬(たんれん)は、この解説を読むために行ったといっても過言ではない状況でしたが、本当に役に立つものでした。
とはいえ、当時は解説を読んでも理解できない箇所が多々あったことを思い出します。


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※過去問題だけでなく、上質な解説まである『行政書士試験! 合格道場


11月にある行政書士の本試験の受験申込は、8月初旬から9月初旬にかけて行うのですが、受験科目の履修も終了しておらず自信は全く無いものの、当然のように申し込みました。
また、資格取得学校の行政書士公開模擬テストなるものが、9月と10月の計2回実施されていましたので、他流試合経験と、本番の雰囲気を味わうためにチャレンジすることにしました。


他流試合1回戦。9月の公開模試のことは、今でもよく覚えています。
公開模試も、本番の試験同様、午後1時から午後4時の3時間試験で行われるのですが、3時間ノンストップで集中する経験など、この頃の私には全く未知の世界で、問題が解けないのは当然としても、試験が終了した時の疲労感は、凄まじいものがありました。
まさに頭は真っ白で、酸欠状態になってしまいました。


公開模試の結果は、当然といえば当然ですが、全く箸にも棒にもかからないものでした。
特に法令では民法。問題形式では判例問題や記述問題は、惨憺(さんたん)たるものでした。


判例問題は、憲法・行政法(行政手続法・行政不服審査法・行政事件訴訟法)・民法等の、主要な判例を幅広く読み込むことが必要です。記述は3問出るのですが、1問20点と高配点で、的確な法律用語を駆使して論旨を明確に書かないと高得点にむすびつきません。
合格基準を満たすためには、もっともっと勉強しないと無理だなと痛感した公開模試1回戦でした。


季節の移り変わりは早いもので、10月になりました。
10月は、他流試合2回戦があるとともに、本番の行政書士試験も翌月に迫ってきていました。
この頃の私の精神状態は、不思議と落ち着いていました。
そうなのです。
公開模試の結果もあり、11月の試験まで出来る限りの勉強をして、仮に落ちても来年を目指しての経験と割り切っていました。
悲壮さは無いものの、この当時は、書店で問題集も購入し、仕事から帰って平日の夜も机に向かっていたことを覚えています。
そうした姿を見た女房から、「はじめて見る姿」と声をかけられたことに、もしかしたら気分を良くしていただけかもしれませんが、心は不思議と平穏なものでした。
しかしながら、他流試合2回戦の結果も、1回戦よりは良くなったものの合格には程遠いものでした。
問題を解いても、自信を持って解答することもできず、なんとも頼りない状態でした。
今から思えば、勉強の絶対量が不足していました。


2013年11月国家資格行政書士試験当日。
「一定のレベルを超えないと緊張もしないものだな。」と思いながら試験会場に向かいました。
オリンピックなどで、選手が「緊張しました。」とのコメントを発していますが、それは、手ごたえを感じる、ある一定のレベルに達した人が言える言葉なのだと、つくづく思いました。
とはいえ私の辞書に、参加しないといった選択肢は、過去にも現在にもありません。
「何が起こるかわからない。最後まであがこう!」と試験会場である飯田橋の日本大学法学部キャンパスに向かいました。


結果は、次回日記で。
(つづく)


清田 一人(きよた かずと)
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清田(きよた)日記 ~男50歳からの資格取得 第4回資格取得への道 その1~


「行政書士資格を取得する。」


55歳(2013年2月)の私の方向性は定まった。


まずは、行政書士試験の概要を調べてみた。
・試験日は、原則毎年11月の第二日曜日の午後1時~4時の3時間。
・試験科目と内容は、行政書士の業務に必要な法令等から46題と一般知識から14題の計60題。
 法令等とは、憲法、行政手続法、行政不服審査法、行政事件訴訟法、国家賠償法、地方自治法、民法、商法、会社法および基礎法学のことであり、一般知識とは、政治、経済、社会、情報通信、個人情報保護、文章理解のことであった。
・配点内容は、法令等で244点。一般知識で56点の合計300点であった。


初めて試験概要を見た時に驚いたのは、合格基準だった。
1. 行政書士の業務に関し必要な法令等科目の得点が、122点以上である者。
2. 行政書士の業務に関連する一般知識等科目の得点が、24点以上である者。
3. 試験全体の得点が、180点以上である者。
上記の1~3の要件を全て満たすことが必要であった。


そうなのです。科目毎に足切り点が設けられていたのです。
これには少々ビビリましたが、決めたことはやるしかありません。


私にはありがたいことに日々の仕事があり、自由な時間は毎日の通勤時間と土・日だけです。
(帰宅後の勉強までは、当時の私の頭には全く思い浮かびませんでした。)
独学で勉強をし、11月までには約9ヶ月もあるのだから、その年(2013年)の受験を目指そうと決めました。
正直なところ、私は先生に教えてもらうことが苦手で、そういった意味でも独学は望むところでした。この選択が後々大変なことになることも知らずにです。


早速、某有名資格取得専門学校の行政書士合格テキストを購入。
まずは1回読んでみようと本を開きました。
すぐに気がつきました。
「この行為は、かなり無謀な行為だ」 と。
自分は暗記が得意だから何とかなるさとの密かな自信は木っ端微塵(こっぱみじん)です。


そうなのです。第3回日記にも書きましたが、私は法学部の出身ではありません。
難しい法律用語は、全く理解不能です。
特に読むのに苦労したのは、法律条文と判例でした。
読書は好きでも、条文や判例等のお堅い文章は、全く異次元の文章であり、そうした表現にまず慣れることが必要でした。
どうしてもテキストの内容が腹落ちしないこの時期、何度も「もうやめようか。」と思いました。
でも元来能天気な私は、資格取得した後の満足感に浸っている自分の姿を想像し、それを励みに、せめて1回は最後まで読み終えようともがいていました。


なんとかヨレヨレになりながらも1回は、テキストを読み終えました。
とはいえ、テキスト内容が理解できている状態からはほど遠く、掲載されていた練習問題にも全く歯がたちません。
完全に自信喪失状態でした。


そんな時、ネットで行政書士合格者の合格体験記なるものを読みました。
なんと、みなさん年間1,000時間程度の勉強をなさっておられました。
まさに頭の下がる体験記ばかりで、私もやらねばとの気持ちになりました。
またそのホームページでは、20年以上の過去の行政書士試験問題が閲覧できて、上質な解説まで掲載されていました。
ちなみに練習問題や動画講義を見るためには有料会員になる必要があるのですが、過去の試験問題は無料閲覧できる太っ腹なホームページでした。
とは言え、すぐに過去問題を解ける実力も全くありません。
私は、あと2回はテキストを精読し、その後このホームページを活用させて戴くことを決めました。


「パターン認識は得意だ。徹底して過去問題を解けば、きっといける!」


どこまでも能天気な私でした。

この頃のわたしは、
この道が長く曲がりくねっていることなど、知る由(よし)もありませんでした。
(つづく)


清田 一人(きよた かずと)
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男50歳からの古代史構想学(3)古代史熱に火をつけた宮崎旅行

今回で3回目となります。素人古代史勉強家(研究家と名乗るのはおこがましい)の大和健です。
今回は古代史にはまる直接のきっかけとなった仲間との宮崎旅行を紹介したいと思います。


このツアーのテーマは前回でも書いた通り「神話の里を訪ねる旅」でした。
1泊2日のツアーは「熊本空港→阿蘇大観峰→天岩戸神社→高千穂峡→高千穂神社→ホテル高千穂(泊)→クルスの海→大御神社→西都原古墳→宮崎空港」という行程だったと記憶しています。


しかしながらこのツアーは、自分の脚で現地へ赴き、自分の五感で感じ、自分の頭で考える、いわゆる実地踏査の重要性を認識した貴重な体験となりました。
結果的にこのツアーで感じて考えた多くのことが自分の仮説を補強することになりました。例をあげてみます。


熊本から阿蘇を抜けて高千穂へ入るルートを辿ったことで、高千穂の地が阿蘇山と眼と鼻の先であることが確認できました。その後の勉強で、阿蘇の北側に弥生時代に大規模な戦闘があったことを想定させる数多くの遺跡が存在することを知り、魏志倭人伝に記される女王卑弥呼が統治する倭国と南九州の狗奴国による戦闘の痕跡ではないかとの考えを持つに至って、高千穂は狗奴国が大本営を置いた場所である、と考えるようになりました。
また、地図で見ると山間の狭い土地だと思っていた高千穂は意外にも水田の広がる豊かな土地でした。南九州から北進してきた狗奴国が拠点を設けるには十分な場所です。


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パワースポットでも有名な高千穂では、天岩戸神社の奥にある天安河原を流れる小川からパワーを受けて、ここに神々が集まったという話を創作した古代人の感性に感心しました。一方で、高千穂は神話のテーマパークだと言った同行メンバーの言にも頷かされたり。
神話が先か、出来事が先か。これは古代史を解き明かすときの重要なポイントなのです。


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高千穂神社では、神武天皇が馬に乗って東征に出発しようとする姿が眼に浮かび、狗奴国の王が神武天皇であり、狗奴国は倭国に勝利した結果として次に東を目指したのだ、と考えるようになりました。そして後日に地図を見て、高千穂から日向灘に流れる川の名(五ヶ瀬川)が神武の兄の名前(五瀬命)と同じであることに気がつきました。


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ホテル高千穂で夕食をとった後に高千穂神社に戻って観た夜神楽は、この地で代々に渡って脈々と神様の話が受け継がれてきたことを強く感じました。今では、これは創り話としての神話を体現するためのものではなく、この地で起こった何らかの史実が神話に取り込まれたことを自慢する、あるいは祝うためのものではないかとすら考えるようになりました。
それにしても、そこそこ広い会場が老若男女でいっぱいだったのには驚きました。


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翌朝は4時に起きて前夜に予約しておいたタクシーで国見ヶ丘へ行き、祈る気持ちで待った甲斐あって、朝焼けに輝く雲海を眼下に拝むことができました。この時の感動は忘れられないなぁ。神様はいるんだ、とまでは思わなかったけど。


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※通常、雲海が見れるのは9月~11月。7月に見られたのは奇跡と、タクシーの運転手の方も驚いていました。


最後に訪ねた日本最大級の古墳群である西都原古墳群、ここでは古墳の数に圧倒されました。弥生時代から古墳時代にかけて、この日向の地に当時の日本最大と言ってもいい一大勢力が存在した事実を認めない訳には行かず、南九州を支配した集団、すなわち狗奴国の王族の墓域であると確信を持ちました。西都原考古博物館の展示も見事でした。


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こんな感じで現地で感じたことや考えたことを取り込みながら自分の仮説が形成されていったことで、古代の日本(いわゆる大和政権)が成立したプロセスを解き明かしたい、という思いが強くなっていきました。そういう意味でこの宮崎旅行は、準備段階で徐々に充填されていった古代史エネルギーに点火された瞬間だったと言えます。


実はこの宮崎旅行の直前、ツアー企画メンバー3人で大和の纏向遺跡を訪ねました。次回はそのお話を。


大和 健(やまとたける)
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ブログ:古代日本国成立の物語
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男50歳からの古代史構想学(2) 邪馬台国の研究は推理小説から

こんにちは、古代史構想学の第二回目、古代史を勉強中の大和健です。


前回の記事では私が古代史や考古学の道に進むことを諦めた経緯を書いたのですが、実は大学を経て社会人になってからもその方面への興味が失せることはなく、関連する本を読み続けてきました。
謎解きが好きな私が若い頃によく読んだのが邪馬台国や卑弥呼を題材にした推理小説です。
先日、大阪の実家に帰った時に本棚を探してみるとこんなにありました。


 「邪馬台国殺人考」 長尾誠夫
 「『邪馬台国の謎』殺人事件」 木谷恭介
 「『邪馬台国の謎』殺人事件」 深谷忠記
 「邪馬台国の殺人」 中津文彦
 「『マ』の邪馬台国殺紀行」 荒巻義雄
 「卑弥呼殺人事件」 阿井渉介
 「卑弥呼塚殺人事件」 島田一男
 「邪馬台国はどこですか?」 鯨統一郎
 「卑弥呼伝説地に降りた神々」 井沢元彦
 「邪馬台国殺人旅情」 斎藤栄
 「卑弥呼の殺人」 篠田秀幸
 「『古代四国王朝の謎』殺人事件」 吉岡道夫
 「幻の騎馬王朝」 邦光史郎
 「箸墓幻想」 内田康夫
 「陸行水行」 松本清張
 「邪馬台」 北森鴻・浅野里沙子


邪馬台国や卑弥呼は作家にとっても謎解きの興味をそそられるネタなのでしょう。
井沢元彦氏、松本清張氏は専門家顔負けの古代史研究家と言って間違いないと思います。
読者の皆さん、もしも今から邪馬台国や卑弥呼を勉強してみようという方がおられたら、専門的なことはさておき、こういうところから入るのもアリではないでしょうか。


実家にはこれらの他にもたくさん(数十冊くらい?)の本がありました。
ただ、これだけの数を読んだにもかかわらず、当時はまだ自分の仮説もなくただただ興味にまかせて読んでいただけなので、内容については一片の記憶も残っていません。
だから時間がある時にもう一度読み直してみようと思っています。


私は2013年の年明け頃から少し真面目に古代史への取り組みを始めました。
その年の夏、とあるコミュニティで旅行に行くことになり、その企画を二人の仲間と一緒に考え始めたのがきっかけです。二人とはいわゆる飲み仲間で、古代史を話題に飲むこともよくあって、そんなことから旅行の企画が始まりました。


旅の行き先は宮崎、コンセプトは神話の里を訪ねる旅。企画を練り上げる中で、旅行までに魏志倭人伝を暗記しておくこと、邪馬台国について自分の考えをまとめておくこと、という課題が決まったのです。
これが1月頃のことで、少なくとも二人よりも詳しいと自負する私は旅行までのおよそ半年、かなりの時間を魏志倭人伝や邪馬台国に費やすことになりました。
このとき、30年以上に渡って封印してきた古代史への想いが心の底から溢れ出てくるのを感じました。


実はこれとほぼ同じタイミングで異動の内示を受けていたのですが、これが会社にとって最も重要と言っても過言でない組織への異動内示でした。
本来であればその方面の勉強を始めるべきところでしたが、一度騒ぎ出した血は収まるはずもなく、仕事の勉強はついつい後回しに。


そしてこのときに自分の考えを「邪馬台国畿内説を論証する」と題するレポート(A4で11枚)にまとめました。
そうです、私は邪馬台国畿内説を採っております(が、その邪馬台国が大和政権になったとは考えておりません)。
今回の機会にあらためて読んでみたのですが、このときに書いたことが今でも自分の仮説の骨子になっていることが再確認できました。そのときに参考にした主な書籍を以下に紹介しておきます。


 「天皇家のふるさと日向をゆく」 梅原猛
 「出雲神話の誕生」 鳥越憲三郎
 「古代史9つの謎を掘り起こす」 関裕二
 「『日本神話』の謎と真実」 三浦竜
 「日本古代史を科学する」 中田力
 「『出雲』からたどる古代日本の謎」 瀧音能之
 「古事記と日本の神々」 吉田敦彦
 「出雲と大和 古代国家の原像をたずねて」 村井康彦
 「蘇我氏の正体」 関裕二
 「邪馬台国は甦る!」 木谷恭介
 「吉備の古代史」 門脇禎二
 「古代天皇はなぜ殺されたのか」 八木荘司
 「『古代日本』誕生の謎」 武光誠
 「王権誕生」 寺澤薫
 「邪馬台国をとらえなおす」 大塚初重
 「邪馬台国の候補地 纏向遺跡」 石野博信
 「歴史群像 特別編集『最新 邪馬台国論』」 学研社
 「歴史法廷 特集『邪馬台国はここにある』」 世界文化社

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※(割り込みですみません)実は、古代史も好きな編集長佐々木のオススメ3冊
『古代史を科学する』 有名な脳科学者である、中田力氏が、魏志倭人伝の記述から邪馬台国の場所を解き明かす。キラリと光る古代史構想学。邪馬台国日向説。これを読んで、古代史実地踏査、高千穂ツアーが始まりました。
『古代史 9つの謎を掘り起こす』 東の井沢元彦、西の関裕ニ。関裕ニの大回転的な邪馬台国論の入門編としては、最適。邪馬台国北九州説だが、高千穂への天孫降臨、神武東征と続き、大回転します。
『出雲と大和』 なんと言っても、魏志倭人伝に書かれる、邪馬台国の「四官」の解釈は、超オリジナル。また、出雲から大和につづく、磐座信仰。これを読むと、三輪山に登らずにはいられない。
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難しい専門書の類はひとつとしてなく、どれも文庫、新書、雑誌です。素人は素人らしく背伸びをしないこと


今回は本の紹介のようになってしまいましたが、次回は宮崎旅行を紹介したいと思います。

大和 健(やまとたける)
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ブログ:古代日本国成立の物語
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清田(きよた)日記 ~ 男50歳からの資格取得第3回 どんな資格を選ぶ?~

資格選びの最大のポイントは、「成功した暁には、田舎生活を維持できる資格取得を目指す。」
ということにした。
もっと分かりやすく言うと、単に業務遂行の為に必要な資格で、その資格だけで生計を立てる事務所を設立するのが難しい資格は排除することにした。


余談だが、こうした検討をしていた当時、日頃は気にもとめていなかった資格系の個人事務所を熱心に探してみたところ、結構な数の事務所があることに驚いた。
これは、その資格で生活できているということでもあるし、取得資格毎(ごと)に、多くの競合が存在するということである。
どんな業界であっても生存競争は、常に激しく厳しい。


資格選びの話に戻ろう。
これも私にとっては大切なポイントなのだが、文系の私でも努力すれば何とか取得できる資格であること。要は、超難関、理系型資格は避けるということだ。
自慢じゃないが、化学式に基づくモル計算と聞いただけで、今でも固まってしまう。


そうした基準で候補に選んだ資格は、
・司法書士 ・行政書士 ・社会保険労務士 ・中小企業診断士 となった。


ここからは更なる絞込みとなるが、最初に候補から外れたのは司法書士であった。
これには理由があって、私は法学部出身者でもなく、行政書士でも私にとっては資格取得が難しいだろうに、更に資格難易度が高い司法書士は、何をかいわんやである。


残った3つの資格のどれにするかについては、結構迷った。


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ただ中小企業診断士の事務所看板を私は見たことがなかったので、実際の資格保有者に実体を聞いてみた。
やはり中小企業診断士の成功者は、企業コンサルタントの方が多いようであった。
また、行政書士か社会保険労務士のどちらかを取得した後で、ダブル資格を狙うのであれば、中小企業診断士がお勧めとの話があった。
これは、行政書士にしても社会保険労務士にしても業務を進める中で、関係する法律が改定されることも多いらしく、そうした法律をしっかりと追っかけていかないと顧客に信頼を得られない。法律系資格を2つ取得して、常に関係する法律知識を最新の状態に保つことは結構大変なことであり、それよりも中小企業診断士を取得した方が顧客企業の事業相談にものってあげることが出来て、ダブル資格の相性(あいしょう)が良いとの話だった。
信頼できる方の話でもあり、私はこの話を信じた。


ということで、まずは法律系資格を取得しようと決めて、残った資格は行政書士か社会保険労務士となった。
顧客特性を調べてみると、行政書士の業務は、継続顧客が全く無いということではないが、都度顧客が変わることが多いようで、許認可申請の業務だけをとらえても申請種類が多い。
また成功している行政書士は、幅広く業務を行うというよりも自分なりの得意業務を会得(えとく)して、その業務の顧客を獲得するように仕事を進めているようだ。
顧客が都度変わることが多く、業務の種類が多いというのが、行政書士の特徴だった。


対して社会保険労務士は、顧客を階段状に増やしていけるようで、継続顧客業務のようである。上手く顧客が獲得できると業務も特化されているので、安定収入につながる。


顧客獲得が上手く運べば、圧倒的に社会保険労務士が魅力的に思えた。
何より「継続顧客と安定収入」とのフレーズが心地(ここち)よい。


ここで私は田舎をイメージしてみた。
「本当に顧客開拓できるだろうか?」
気になるのは、社会保険労務士の特化した業務で顧客開拓できるのかといった部分であった。
新規参入の社会保険労務士事務所に、数多くの顧客企業が重要な業務を任せてくれるのだろうかといった心配である。
当然、既存の社会保険労務士事務所が存在しており、市場が出来上がっている状況で、切り替えも含めて顧客を開拓していかなければならない。


地方都市企業は、既存業者に良い意味で義理堅く、新規参入業者には排他的。
まさに市場のオモテとウラ。参入障壁は高い。
そして、新規創業する企業数も大都市と比較すると極端に少ない。


そうしたことをいろいろ考えて、行政書士資格取得を目指すことにした。


業務の幅が広いことが、最悪の時のリスクヘッジになると考えた。
とはいえ、今でも都会で業務をするのなら社会保険労務士を目指したと思うし、田舎に帰って、予測と大きく現実が乖離していれば、先々社労士にチャレンジしているかも知れない。


いかにも優柔不断。そして臨機応変である。


この時、55歳の2013年2月。


ここからが長い道のりになることを、わたくし清田は、まだ知らない。
(つづく)


清田 一人(きよた かずと)
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男50歳からの古代史構想学(1)おやじバンド、諦め、古代史に夢を

皆さん、初めまして。わたくし、大和健(やまとたける)と申します。


これから「男50歳からの古代史構想学」と題して、50代も半ばを過ぎてから古代史の研究にのめり込むことになった背景やその実態を綴って参ります。
サラリーマン人生の終末期を前にして未だ第2の人生の過ごし方を決め切れずに右往左往する姿を、古代史謎解きとともに楽しんでいただければ幸いです。


さて、世の中では数年前から「おやじバンド」が流行っています。会社の先輩にもはまっている人がいて羨ましいと思ってみています。


中学2年になった頃にいとこからクラシックギターを譲ってもらい、フォークソング、ビートルズ、ベンチャーズなんかを我流で弾いていました。
文化祭では上級生が体育館でコンサートをやっていて、来年は自分もやりたいと思って仲間とバンドを組みました。
翌年、体育館が建て替えのために使用できなくなるというアクシデントにもめげず、先生に相談して校庭での開催にこぎつけ、本番では友達から借りたエレキギターでベンチャーズとビートルズを何曲か演奏し、締めはチューリップの「心の旅」だったと記憶してます。
文化祭が終わると3年生は受験にまっしぐら。バンドは解散し、ギターを手にする機会は激減しました。
そして高校入学後はもう一度ギターをやりたいという気持ちを押し殺して勉学に励み、結局そのままやめてしまいました。だからおやじバンドが羨ましいのです。
だったらやればいいじゃないか、という声が聞こえてきそうだけど、自分の腕前ではムリなのはよくわかっているのです。

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最後の曲が「心の旅」だった。青春の1ページ


おっと、古代史の話を書くつもりがいきなり違う話を長々と書いてしまいました。
そんなことでギターをあきらめた私ですが、実はもう一つあきらめたことがあるのです。
それが古代史への想いです。小学校6年生のときの作文に「考古学者になりたい」と書いたくらいなので、こっちのほうが本気度が高かったかもしれません。
小学6年の社会の勉強で邪馬台国や卑弥呼を習ったときに、なんともいえない興味を覚えたのです。子供の頃から謎解きが好きだったので同じような感覚になったのでしょうか。それ以来、歴史の勉強が大好きになりました。


高校でギターをあきらめてまで勉強に精を出した私ですが、考古学者や歴史学者になりたいという気持ちは細々ながら持ち続けていました。当時のいわゆる共通一次試験(今でいうセンター試験)の社会の科目選択では最も点数が取りにくい組み合わせと言われていた「日本史」と「世界史」で受験することを早々に決めて受験勉強に励みました。そして、いよいよ受験する学部を決めるときになって少し考えました。古代史や考古学をやるなら文学部。
しかし、ここで子供の頃から親に刷り込まれてきた「いい大学に入って、いい会社に就職する」という価値観に負けてしまったのです。受験した学部は経済学部や法学部。結局、ここでも自分の夢をあきらめてしまったのです。


いい大学に入って、そこそこいい会社に入った私のサラリーマン人生は概ね満足のいくものでした。だから、あのときの選択が間違っていたとは全く思わないのですが、そのサラリーマン人生もいよいよゴールが見えてきました。おやじバンドは無理だけど、古代史なら今からでも楽しめる。自分の考えを本にして世の中に送り出すこともできる。それって凄くない?

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ディテールの研究は専門家に任せる。古代史の骨格を構想するのは私たち素人。



そんなことで4年ほど前から取組みを始め、一昨年の秋頃からいよいよ本格的になってきた古代史研究。仕事そっちのけで没頭することもしばしば。昨年の夏から自分のブログでの発信も始めました。第2の人生の入り口に立って、少しばかりワクワクしながら好きなことに取り組む様子をお伝えできればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

大和 健(やまとたける)
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ブログ:古代日本国成立の物語
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清田(きよた)日記 ~ 男50歳からの資格取得<第2回>どうしよう~

田舎の求職事情は、地元の友人から聞いたものの、定年後Uターンするにしても

「どうやって暮らしていけばいいのだろう???」

当時55歳であった私は、まだすぐにUターンするわけではないものの、初めて自分の将来に漠然とした不安を抱いた。

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『世界の中心で愛を叫ぶ!』のロケ地であった、我が故郷。しかし、仕事は無い。

地方都市の性(さが)なのか、安定しているところといえば行政機関ぐらいで、それとて働く場合は年齢制限がある。民間企業も求人に余裕のある話は無い。
「大企業に勤めてました。」と言っても、60歳を超えた人間を、喜んで雇ってくれるところなどないだろう。
60歳で田舎にUターンするとしても、65歳までは厚生年金も満足した状態にはならない。
「いっそ、65歳までは都会で暮らそうか。」とも考えたが、田んぼが気になった。
少なくとも親父が元気なうちに帰らないと、分からないことを聞くことも出来ない。


ある意味初めて自分の市場価値を考えた。
その結果、都会では少しは評価されるキャリアかも知れないが、田舎では殆ど(ほとんど)価値が無いことに気付かされた。
そして、自分のことを完全に棚にあげて、地方都市の持つ構造的な問題が、ここにあるようにまでに思った。

私が大学を目指していた高校時代。
香川県に四年制の大学は、国立大学が一校と、私立校が一校しかなかった。
全員が地元の大学に入れるわけもなく、多くの学生が、関東、関西の大学に進学するのが一般的で、大学を卒業した全ての学生が、地元香川県で就職することなどありえなかった。
肌感覚ではあるが、県外に出た学生の地元就職は、よくて半数程度ではなかろうか。
ちなみにこの傾向は、今も続いている。
多くの地元学生が魅力的な都会の会社に就職する状態が毎年続くことによって、活力ある地元民間企業が少ないことにつながっているような気がした。
地方における「少ない教育機関と元気な企業が少ないこと」は、相関関係有りとの理論である。

完全に話がそれてしまった。失礼しました。
私にそうした状況を改善する力は、全く無い。まさに非力である。

いま考えないといけないのは、「田舎において私の市場価値が無い。」ということだ。
結構長い間、自分に問いかける日々が続いた。
田んぼしながら貯蓄を切り崩して65歳までしのぐことも頭に浮かんだが、苦手な農作業だけでは自分がもたないと思って、専業農家は却下した。
商売を始めるにしても、心から燃える動機が無いと結果は火を見るよりも明らかと、
これまた却下。

本当に困った。自分の市場価値を証明するものが、全く無い。

「みんなが納得して評価できる価値。価値。」と考え続けている時にひらめいた発想は、「普通自動車の運転免許証」だった。
運転免許があれば、田舎でも運転は出来る。まさに客観評価の極み(きわみ)である。
そうした誰でも納得できる資格があれば、田舎でも活用できると思った。
私は、資格ビジネスを真剣に考えてみることにした。
ある意味、もうそれしか残っていないような気がしたし、とても短絡的な動機だが、直感的に「いける」と思った。

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とは言え、
「どんな資格であれば食べていけるのだろう?」
「本当に資格で食べていけるのだろうか?」
まずは多くの情報を入手することから検討を始めた。

こうしておぼろげながら、自分の方向性が見えてきた。
次回は、「どんな資格を選ぶか?」を振り返ってみたい。


清田 一人(きよた かずと)
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