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清田(きよた)日記 ~ 男50歳からの資格取得<第1回>プロフィール~

皆様はじめまして、清田 一人(きよた かずと)です。

それなりの上場会社に働きはじめて37年。今年、めでたく(?)定年をむかえます。

私は四国香川県の出身で、高校までは地元で過ごしたのですが、関西の大学を卒業した際、田舎には帰らず、そのまま大阪の企業に就職しました。その後転勤もあり、今は東京で働いています。

私が生まれた場所は、かなりの田舎で、父・母は兼業農家として頑張って私を関西の大学に行かせてくれました。
私を生んだ後、母が身体をこわしたこともあり、私には兄弟がおりません。
当然、両親は私が大学を卒業したら、田舎に帰って就職してくれるものと思っておりましたが、いろいろございまして、私としては無事(?)都会の会社に就職することが出来たのです。とはいえ、「定年したら田舎に帰るから。」と両親と約束していたのも事実ですが、就職してから30年以上、約束の存在さえ忘れきっていたというのが実情です。

会社人生を振り返っても、人並みに苦しいこともありましたが、職場の環境や
まわりの上司・同僚・部下にも恵まれ、楽しかったことの方が多かったと思います。
また、お盆や正月には田舎に帰省するのですが、やはり都会での生活の方が自分にはしっくりくるものでした。

そうした私ですが、正月に帰省していた時の元日の夜、お袋が脳梗塞で倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれました。元日ということもあり、幸いまわりに家族がいたことで、早い処置ができたこともあって大事にはいたりませんでした。
しかしながら、お袋は入院。
父は、全ての家事をお袋まかせで、米を炊くことも出来ません。

この状況が長引くことは、父の日常生活の破綻を意味します。
そうしたこともあり、父の家事特訓を私の妻と一緒に行いましたが、なかなか上手くいきませんでした。
お袋が入院して、なれない家事を特訓する、不機嫌なような、気持ちが萎えているような親父の姿。

この時の私の年齢は、55歳。
情けない話ですが、はじめて田舎にUターンする必要性を感じました。
とはいえ定年まで相当の期間が残っているわけで、まだまだ切実なものではありませんでした。

その正月3日。

地元の友人に、60歳以降の地元の求職事情を聞いてみたところ、都会との違いに驚いてしまいました。
都会は正直なところ、職種や賃金、勤務形態さえ高望みしなければ、60歳を超えても健康であれば何らかの仕事があります。
がしかし、四国の田舎は、そうした状況にないことがはっきりと理解できました。
はじめて60歳以降の生活に漠然と不安を感じました。
まして、我が家には田んぼがあり、米を作っています。
中学生くらいまでは手伝っていましたが、その後親父にまかせっきりで、
米作りは恐怖以外の何物でもありません。


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「どうしよう...。」


この、『清田(きよた)日記 ~ 男50歳からの資格取得』が、田舎にUターンされる方や第2の人生を考える方に少しでも役立てば幸いと勝手に思い込んで書き記していきたいと思います。

でも、私は現在まだ59歳。
この先成功するか大変なことになっているか、まだ分からないのです。

とはいえ、第2の人生の準備をして、少しだけ気持ちが落ち着きました。
そうした選択肢の一つとして、気軽にお読みいただけば幸いです。


清田 一人(きよた かずと)
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