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「これでいいのだ」 と 「前後際断」

タモリの赤塚不二夫への弔辞の一文


「あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。すなわち『これでいいのだ』と。」


赤塚の「これでいいのだ」は、「前後際断」だという目から鱗のの解釈。


「前後際断」とは、禅の言葉で「過去や未来との対比として現在をとらえるのでなく、絶対の今の一瞬一瞬ととらえて、刻々を大事に生きる」意味。道元の『正法眼蔵現成公案』の次の一文にある。


「たきぎは はいとなる さらにかえりて たきぎとなるべきにあらず
しかあるを 灰はのち 薪はさきと 見取すべからず
しるべし 薪は薪の法位に住して さきあり のちあり
前後ありといえども 前後際断せり」


「前後際断」は、ギャクの世界だけでなく、ビジネスの世界、いや生きる上でも大変重有効。
何故有効かのかは、頭で分かるのではなく、座りながら腹で感じるもの。
そんなひと時を坐禅は体験させてくれる。


◇経営禅研究会 広尾座禅会(アイエスケーコンサルティング株式会社)◇
◇正法眼蔵 現成公案を読む(淑徳大学エクステンションセンター)◇


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