トップ > セカンドアカデミー 大人の学び☆ニュース


文教大学「江戸の町人社会 -持続可能な社会の実践者たち-」

 通勤バスの車内広告を見て驚いた。それは生涯学習講座の案内だった。江戸文化を教える講師の欄に、地理の研究者の名前を記していた。
 私は学生時代、地理学を専攻していた。だから、歴史学に対しては、親近感とともに近親憎悪のような感情も抱いている。今まで聞いた江戸時代の話はどれも、興味は湧くものの、どことなくリアリティーを感じられずにいた。文献をもとに時間軸に沿って研究する歴史学に対して、地理学は現場に赴いて現在の空間を研究する。地図と野帳を手に、野山や街中を歩きまわっていた学生時代、古文書を読み解く史学科の連中の論文は、時代小説と紙一重とも思っていた。
 地理の目で見ると、江戸時代という歴史上のスポットはどう映るのだろう。そんな興味がわき、受講することに決めた。


65DSCF0847.JPG

Figure 1 教室の入り口。これから講義が始まる。


 講師となって教えてくれたのは、ダンディーな印象の先生だった。
「僕は地理が専門でして」
と前置きして、江戸時代の神田の地図を配った。
「パソコンを準備している間に、この地図のなかから、職人に由来する町名を丸で囲ってください」
と話した。地図を使っての作業から始まるところが、さすが地理の先生だ。
 江戸時代の神田の街には、「瀬戸物町」「蝋燭町」など、職人に由来する地名がたくさんあった。それは、江戸の町に、いかに細かく分業化された職人が暮らしていたかを示していた。
 その頃の職業がどれだけ細かく区分されていたかというと、例えば、扇子の紙を折るだけの職人がいたということでもわかる。紙を折ったら、ついでに骨に貼ればいいのに、と思うところだが、江戸っ子はそんな野暮なことはしないらしい。紙を骨に貼るのは、別の職人がいたのだ。


66DSCF1728.JPG

Figure 2 江戸時代の神田の地図


 これらの職人と職人を結ぶ製造ラインが、問屋の手によって江戸の町に縦横に張り巡らされていた。それが、神田の地図で職人の町名として現れていたのだった。
 こういう分析の方法は、地理学ならではだ。東北の自動車部品が愛知県の組み立て工場に集められて、自動車が出来上がっていく。地理学ではそんなふうに調査する。それを、江戸の町で展開してくれた。
 そして、この分業化された職人の技が、文明開化を経て、現代の日本の製造業へとつながる、と講義では教えてくれた。
 工業だけではなく、江戸の農業も形を変えて、いまの都市農業として受け継がれているという。
 講義によれば、江戸の農業には、肥料にする糞尿という「商品」があったという。江戸の町の糞尿を集め、農村部に還元するシステムができていた。都市と農村で、農作物と肥料とが循環していた。現代では化学肥料が導入されたため、有機的な循環がなくなってしまった。その話を聞いたとき、「都市農業」という言葉が急に薄っぺらいものに感じてしまった。
 こんなふうにして、講義では現代と江戸時代とのつながりを意識させてくれた。江戸時代から形を変えて21世紀の今につながっているものがたくさんあること、そして、惜しくも受け継がれてこなかったものもまた山のようにあることを、教わった。
 もう一つ、この講義の面白かったところは、ビジュアル面である。講師の先生は、文献から探してきた江戸時代の本の挿絵を、スライドで次々に投影した。自ら着彩したものも少なくない。時代劇とはちがうリアリティーで、江戸の町が教室によみがえった。
 ほかにも、落語や判じ絵(絵ヒントクイズのようなもの)なども紹介してくれた。江戸の暮らしが、楽しみながら理解を深められた。


67DSCF1732.JPG

Figure 3 江戸判じ絵の資料 イラストはすべて江戸の地名を示している。


 地理の目で江戸時代を見てみたら、150年の時間が実はつながっていることが分かった。アメリカや中国が、交通や通信、物流で海や空を超えて我が家の茶の間とつながっているように、江戸時代の工業も農業も町人文化も、今の世の中とつながっていた。
 3週間にわたった講義を終えたあと、江戸がぐんと身近に感じられるようになった。江戸時代が150年前の世界ではなくて、電車に乗って1時間ぐらいで着けそうな世界に感じられてきた。歴史を地理の目で見られたおかげだろう。


(文責:オフネスキーまるいち 50代・男性)


鶴見大学生涯学習セミナー「古典芸能を体感してみませんか 敗者の声をきく」

%E7%94%9F%E6%B6%AF%E5%AD%A6%E7%BF%92%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E5%8F%97%E8%AC%9B.JPG


 2018年10月1日(月)に「古典芸能を体感してみませんか 敗者の声をきく」を受講しました。
 当然かもしれませんが、若い頃は古典芸能(能)には何の興味も持っていませんでした。そのうち雅楽の調べを聞いて、なんとなく古典芸能に興味が出てきました。しかし、歌舞伎でも同じですが独特のセリフやリズムにはついていけず、気にはなっても特に何もせず過ごしてきました。
 還暦も過ぎ会社も定年退職したので、若い頃から新しい知識を得るのに興味があったので大学や自治体が開催している各種生涯学習講座を受講し数年経過しました。その間受講した生涯学習講座の中には、自分が思った内容と違ったものもありました。でもこの講座は、1日講座であったので受講してみました。


 講座は、400名位入れる会場で開催されました。参加者数は、40名程度でその内2/3位は女性でした。参加者の多数は受講経験者のようで、私のような初めての人はほとんどいませんでした。尚、写真は撮影・録音が禁止されましたので講座会場の案内板です。
 この講座は、能について三つある講座(仕舞の初級/中級と揺(うたい))の合同講座でした。講師は、能楽師二人(喜多流・シテ方と下掛宝生流・ワキ方)とコーディネーターの三人でした。
 最初の30分間は、コーディネーターが古典芸能についての考えを話されました。その後コーディネーターが能楽師に演技についての体験談や失敗談・苦労話等次々に質問し能楽師がそれに回答するという対話になりました。その中で、シテ方とワキ方の役割の違いや流儀の違い(流儀は、シテ方は五つ、ワキ方は三つあるとのことです)等の説明があり、またプロでもいろいろ苦労されていることを話されました。
 1時間経過した後5分程度の休憩を取りその後能楽師の演技・説明が1時間続きました。演技は、ワキ方の隅田川と平家物語の藤戸、次にシテ方とワキ方での羽衣白龍でした。能については、多少テレビで見たことがありましたが、生の能楽師の声を初めて聞きました。その力強い声量には驚きました。相当腹筋を鍛えていないとあのような声を出せないと思いました。また、独特なリズムや口調も心地よいものでした。でも意味は理解できませんでしたが。


 能楽師から能を楽しむ為に次のアドバイスがありました。
 ・能の面白味を得るには、あらすじ・ストーリーを事前に調べておく。
 ・わかろうとするのではなく、何かを感じてもらいたい。
 ・自分も参加しているつもりで観る。
 ・舞台の空気を共有する。
 ・演技後の拍手は余韻を残すためしない方がいい。
 等々


 いつもなら2時間の講演はたまに眠くなることがありますが、今回はあっという間に時間が過ぎました。


 能についての知識が少ないのでまだ敷居が高いという感じですが、今回の受講で多少は理解でき、今後能を観覧したり講座を受講してみたいと思いました。能は謡(うたい)と囃子(はやし)を伴奏に舞踊的な所作でストーリーが展開する歌舞劇で、継承されている演劇としては「世界最古」といわれています。また、ユネスコの世界無形文化遺産に指定されています。能は、猿楽や田楽から能になり、それが歌舞伎等に変化していったとのことです。郷土芸能は後継者がいなく廃れていっていますが、日本の古典芸能は世界にも誇れるものと思いますので、いつまでも受け継がれてもらいたいと思います。
                                    以上

(文責:すすいが 60代・男性)


セカンドアカデミー公開講座「Japanリベラルアーツ入門~神話と芸能~」

2018年9月5日、セカンドアカデミー(株)と丸善雄松堂(株)が主催する公開講座 「Japanリベラルアーツ入門~神話と芸能~」を受講しました。講座の告知を知ったとき、「リベラルアーツ」と「神話」というふたつの言葉に惹かれて申し込みをしました。


「リベラルアーツ」は最近流行っている言葉で「教養」と訳されることが多いようですが、自己を様々な束縛から解放して生きるための力を身につける学問と理解しています。人類は科学技術の進展によって様々な利便性や快適性を手に入れる一方で、自然環境破壊、原発問題など新たな課題を生み出してきました。人類がこれらの現代的課題に立ち向かうためには、分野ごとに専門化された知識や技術を集めただけでは最適な解決につながるとは限りません。部分最適を寄せ集めても全体最適にはならないということです。人文科学、自然科学、社会科学など多方面にわたる分野を横串にした知識や考え方が必要となります。まさに今、リベラルアーツが求められる理由がここにあると思います。
そしてもうひとつの「神話」という言葉。古代史の勉強には古事記や日本書紀を読むことが欠かせないのですが、これまで古代史を独学で勉強してきた私は実は記紀神話に関する専門家の話を聴いたことがありません。この講座で専門家の話を聴いてみたいという思いと、リベラルアーツをタイトルに据える講座で語られる古事記は単なる解釈論ではなくて何か面白そうな話が聴けそうだとも思いました。


さて、講座は前半が麗澤大学の岩澤先生の「古事記から読み解く日本人の思考法」、後半が清泉女子大学などで講師をされている武藤先生の「歌舞伎の表現-音を見る・動きを聴く-」という2部構成でした。


第1部の岩澤先生のお話はユダヤ・キリスト教神話と古事記神話を比較することで、英語文化圏の人々と日本人の間に横たわる民族性の違いや思考法の違いを浮き彫りにして (日本人を単一民族と考えることの是非はともかくとして) 日本人とはどういう民族なのかを解き明かそうとするものでした。その解明プロセスが大変ロジカルでわかりやすく、まさに論理性や言語化を重視する英語文化圏で学ばれた先生ならではのわかりやすいお話でした。
 ユダヤ・キリスト神話の創世記において神は天地や人間、その他この世の全てを創造しました。翻って古事記神話の始まりをみると、「天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時」と天地がどのようにできたのかは記されず、次いで「高天原に成りし神」として天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神がどこからともなく出現します。そしてこの三神を皮切りに次々と神様が生まれ、その神々が日本の国土や山川草木などこの世の様々なものを生み出していきます。しかし人間は神様の子孫として描かれています。
このように両者を比べると、神話のスタート時点から大きな相違点を見出すことができます。創世記において神はこの世のすべてのものから超越したものとして初めから存在し、その神が天地を皮切りに人間を含むこの世の全てを造り出しました。この明快な神話に比べて古事記では、天地がどのように出来上がったのかがわからず、神様もいつのまにかそこに存在しています。この曖昧さはまさに日本人特有だと思いました。先生によるとユダヤ・キリストの神様は「創造の神」で、古事記神話の神は「生成の神」であるといいます。なるほど、「造る」と「生む」の違いか。





 次に第2部の武藤先生からは歌舞伎の楽しみ方を伝授いただきました。先生のお話を聴いてこれまで全く興味のなかった歌舞伎に初めて興味を持つことができました。武藤先生によると、歌舞伎の楽しみ方は黒御簾(くろみす)音楽に集約されている、話の筋や内容を知らなくても、演技に合わせて演奏される黒御簾音楽を聴くことが歌舞伎を楽しむコツだというのです。実際に舞台の映像を見ながら、黒御簾音楽を聴きながら解説してもらってその意味がよくわかりました。「音を見る・動きを聞く」というタイトルの意味も理解できました。そして、歌舞伎を観てみたいと思うようになりました。単なる食わず嫌いであった自分に気付いたことは大きな収穫でした。




 今回の講座は講座ひとつあたり50分、質疑応答も入れて全部で2時間でした。どちらの講座も興味深く、もう少し聴きたかったというのが正直なところです。


(文責:小嶋浩毅)


男50歳からの古代史構想学(16) 『古代日本国成立の物語』を出版しました

『古代日本国成立の物語 ~邪馬台国VS狗奴国の真実~ 』を出版しました。
定価:2,800円(税別)
企画・編集:セカンドアカデミー株式会社

ubuta.jpg


本書は同名のブログ「古代日本国成立の物語」をまとめた内容です。
自らの考えを発信するだけでなく、全国の神社や遺跡を訪ねた際の所感なども記録しています。

問合せ先: hirokoji2010@gmail.com


第10回 セカンドアカデミー交流セミナー報告

去る12月8日(金)14:30~ ビジョンセンター浜松町にて、セカンドアカデミー交流セミナーを開催しました。


大学公開講座広報事例の発表を、明治大学様、麗澤大学様より行なっていただいた後、宇都宮大学 地域連携教育研究センター教授 佐々木英和先生より、広報ワークショップを開催しました。


両校の事例発表では、参加校の皆さんからは、「なるほど、わかる・わかる」という反応がありました。
 
また、広報ワークショップの最後では、参加した全員が、自分の大学のキャッチフレーズを発表する等、全員参加型で学ぶことができました。


IMG_4909.JPG

IMG_4920.JPG

IMG_4930.JPG

IMG_4931.JPG

これからも、年2回を目標に、交流セミナーを開催して参ります。


【今回参加大学様・団体様】(敬称略)
明治大学、麗澤大学、大阪商業大学、学習院さくらアカデミー、敬愛大学、国士舘大学、実践女子大学、首都大学東京、上智大学、清泉女子大学、鶴見大学、東海大学、東京家政大学、東京理科大学、文化服装学院、文教大学、文京学院大学、松山大学、武蔵野大学、早稲田大学、小田急電鉄株式会社、丸善雄松堂株式会社、株式会社リクルートマーケティングパートナーズ


PS
これまでの交流セミナーを、以下、まとめてみました。なんやかやと、10回目だったのですね。
第1回 2007年3月  梅花女子大事例発表「生涯学習の取組とサイバーキャンパスについて」
第2回 2007年11、12月 シブヤ大学の地域・人・教育への思い(東京・大阪)
第3回 2009年11月 「丸の内朝大学」のコンセプト・運営手法を学ぶ
第4回 2011年6月  積極的な社会貢献、新しい大学公開講座の芽吹き
第5回 2012年7月  Issue(地域課題)+生涯学習 = 地域が変わる (筧裕介、平岩国泰)
第6回 2013年7月  明治大学創立者出身地への学生派遣プログラムの事例紹介
第7回 2013年11月 大学と地域をつなぐNPO NPO法人東京学芸大大学こども未来研究所
第8回 2014年6月  COC事例 杏林大学の取組み~大学COCとキャンパス移転の中で
第9回 2017年6月  アクティブラーニングでの講座企画ワーク(宇都宮大学佐々木先生)
第10回 2017年12月 大学公開講座事例発表(明治・麗澤)、広報企画ワーク(同上)


五感で感じる ~ 縄文と弥生が交わる時代の神々と暮らし

 2017年8月5日、麗澤大学オープンカレッジ(ROCK)の特別講演会を聴講しました。


 聴講したのは、麗澤大学教授でROCKカレッジ長の岩澤知子氏の、「『神道』を捉えなおす~諏訪から見た日本のカミ信仰」の講義。


 古代史ファンを自称する私にとっては、そそられるタイトル。諏訪といえば、国譲りを経て、出雲の神であるタケミナカタが開拓した地でもあり、また、諏訪大社の御柱は、新規事業を立ち上げるに通じるということで、知る人ぞ知る、全国の事業家が訪れる地でもある。私も2度にわたり、上社・下社を巡っている。


 岩澤氏の講演は、古代~ちょうど、縄文と弥生が交わる、そんな時代を、五感で感じることができる場(空間X時間)であった

DSC01974.JPG


 「イ・チ・ヒ」と、自らと会場の受講生が声をあげる。「イ」とは息・気・生のことであり、「チ」は力・霊。「ヒ」は日・火・霊。原始の言葉は、一音であったが、「イ」と「チ」が、ある意味、必然的に組み合わさり、「イのチ=命」という言葉が生まれる。


 人は死ぬが、命の再生として生があり、それはすなわち性である。縄文の人々の、そんな命の再生の儀式が、つい最近まで縄文の神の血を継ぐ守矢氏にて執り行なわれていた。御室(みむろ)神事・御頭祭(おんとうさい)と言う。冬至の頃、地面を掘って作った御室の中での再生儀式、75頭の鹿の生首でミシャグジ(古熊の神)を降ろして行なう饗宴。それぞれの儀式の名前は忘れても、この場で感じた、血の肉の味と香りは、忘れることは無いだろう


 一方、「政」を執り行う弥生系の金刺氏(タケミナカタの子孫でしょうか?)は、豊穣を祈る稲作の神「諏訪大明神」となるのであるが、それでも、縄文系の守矢氏の「祭」は「政」にとって、欠くことのできないものであったという。


 その守矢家は現在も続いており、立派な屋敷の奥には祠がある。今でも祠には鹿の頭蓋骨や栗などが供えらる。日本は凄い。縄文時代の家系やしきたりが延々と継がれている。古事記や日本書紀に記載されていない記憶や伝承も残っているに違い無い。


 岩澤氏は、時代を経るにしたがって縄文系の神は、弥生系の神にその牙を抜かれていったと言う。人々が野生から切り離されていく中世になって、かつての血沸き肉踊る生と死と再生の営みを思い起こすために、あの「御柱祭」が復活したと言う。


 後半は、昨年執り行われた数えて7年に一度の「御柱祭」への潜入レポート。DVDから聞こえる木遣り唄と進軍ラッパ。場面は縄文から現代の諏訪に変わる。茅野のパッピに着替えた岩澤氏が、豊富な画像付きで自らの御柱体験をレポートする。そこから導きだされた説には、さすがに説得力がある。縄文の血なまぐさい匂いと映像の進軍ラッパが交差する。まさに、視覚と音、匂い、体、そしてエロスの五感で感じる縄文と弥生の出会いの場であった。


1234.jpg


 私も今年59歳。「実地踏査」と称して、日本各地の神話の地を友人と巡るのが趣味である。断片をかじりながら、古代史の全体像を構想(夢想)している。とは言え、人生100年計画と言われる昨今、残り40年は、表層をなぞりながら各地を巡り続けるには時が長すぎる。
 今日の講演で、岩澤氏がボストンで哲学を学び直した話などを聞くと、男50代、日本の地でのたかだか数年間。今のうちに大学でこの分野を深く学び直すのもいいかもと思った。


 麗澤大学オープンカレッジ(ROCK)では「豊かなアクティブシニアライフ」の為の「知の協創の場」を目指すという。その場での楽しみに留まりがちな、各大学の生涯学習であるが、一歩突っ込んで「知の協『創』の場」を目指したいという岩澤カレッジ長の強い思いを感じた。

2017年後期のROCK特別講演会 
井沢元彦氏・川口マーン惠美氏・塚田真希氏・石 平氏


男50代からの古代史構想学

実地踏査を同行する友人の体験ニュース


<文責:セカンドアカデミー株式会社 佐々木偉彰>


男50歳からの古代史構想学(15) 古代史でセカンドライフを充実

古代史構想学の最終回です。
皆さん、こんにちは。大和健です。
これまで14回にわたって素人の私が自分なりに古代史を学ぶ様子をお伝えしてきました。
最終回の今回は、古代史に取り組み始めたころのことと、古代史を通じてセカンドライフをどう充実させようとしているのか、をご紹介して終わりにしたいと思います。

ビジネスマンとしてのキャリアを店じまいするにあたってセカンドライフをどう過ごそうか、と考えて出した答が「子供の頃からやりたかった古代史をやろう」ということでした。
ただ、古代史をやるといっても何をするのか、何をしたら古代史をやったことになるのか、自分は本当に何をしたいのか、、、
まずは、とにかく何か形を残していこうと漠然と考えて、本を読んだあとに記憶に留めておきたいことをノートに書き残していくことを始めました。
本を読んで線を引き、ノートに書いていく。これはまさに「勉強」でした。
勉強が進むにつれて興味の範囲も広がり、読書の量も増え、様々な事象につながりが見えてくるようになりました。
それを図や表にしたり、文章にまとめたり。
そういうことを続けていた昨年の正月、「年内に本を出そう」という目標が突然浮かんだのです。
 
そう決めたあとは、本を出すといっても何をどうすればいいのか全くわからないままに原稿作成に取り掛かりました。
一冊分の目安として12万文字を目標に。
しかし、「邪馬台国はここだ」のようにテーマを決めて深掘りしようとしても12万文字も書けるはずがありません。
そんなことしてたらいつまでたっても結果にたどりつかない。
そう思った私は、「点」としての様々な事実や事象を時間軸や空間軸でつないで「線」や「面」にして、古代を広く浅くでいいから俯瞰してみようと考えました。
 
原稿を書き始めて半年くらい、目標の12万文字にはまだ少し時間が必要だと感じ始める一方で、自分の考えを早く発信したいという思いが日増しに強くなっていきました。
そして、書き溜めてきた原稿をブログにして発信していくことにしたのです。
それが「古代日本国成立の物語」です。
昨年の夏から始めて、当初は書き溜めた原稿もあったので毎日新しい記事をアップすることを目標に続けてきたのですが、最近は滞りがちになっています。
それでも毎日数十人の方が読んでいただいているようで、本当に嬉しく、励みになっており、これからも発信し続けようと思っています。
一方で書籍化を諦めたわけではなく、セカンドアカデミー代表の佐々木さんのご協力を得ながら着々と準備をすすめているところで、こちらも大変楽しみにしています。
 
最近は仕事そっちのけで古代史に没頭する日々ですが、これからどんなセカンドライフを過ごそうか。
オリジナルの仮説を考えてブログで発信していくこと、それを本にして勉強の成果を形として残すこと、これが柱になるでしょう。
そして講演会や大学の公開講座などで専門家の話を聴くことも積極的にやっていきたい。(セカンドアカデミーさんのホームページは大変ありがたいです)
また、昔からやりたいという思いは強かったものの、その機会を持てなかった遺跡の発掘。
大阪や奈良では遺跡発掘のアルバイト募集がたくさんあるので是非やってみたい。
もしかしたら世紀の大発見に携われるかもしれない。
さらに、実地踏査で全国各地の遺跡や神社を訪ねること、実はこれが一番の楽しみなのです。
 
私には奥さんがいて、もともと二人で車で旅行することが多く、とくに温泉ツアーにはよく出かけます。
時間に余裕のできるセカンドライフでは、車で全国各地の遺跡を訪ね、おいしい料理を食し、温泉に浸かり、二人でゆったりと充実した時間を過ごしたい。
奥さんは古代史に興味があるわけではないのですが、私が行くところはいやな顔せずに付き合ってくれます。
そうそう、奥さんのほかに小さなワンコも一緒です。
次に車を買い替えるときはワンボックスカーにして、そこに布団や着替えを積み込んで、二人と一匹、気の赴くままに遺跡と神社と温泉を目指して日本を一周する。
これが今考えている小さな目標なのです。
古代史に取り組んだからこそ描くことができた小さな目標ですが、古代史をやっていなかったらこれすら描けていないでしょう。
だから、古代史をやって良かったと思っています。
それから、
古代史に取り組むことがわずかでもいいので収入につながれば言うことなし、とも思っているですが、それこそ「夢」にしておいて次の段階で考えることにします。
 
  
以上で終わります。
最後まで読んでいただいた皆さん、ありがとうございました。
最後の最後になりますが、いつかセカンドアカデミーさんによって「古代史構想学」なるジャンルが確立され、素人古代史勉強家が集うコミュニティ講座ができることを楽しみにしています。
  
<完>
 
 
大和 健(やまとたける)
member_02.png
ブログ:古代日本国成立の物語
http://blog.goo.ne.jp/himiko239ru


男50歳からの古代史構想学(14) 古代史研究とはパズル合わせとストーリー化

古代史構想学の第14回目。
皆さん、こんにちは。古代史勉強家の大和健です。
今回は私が考えている日本建国史における仮説の一部を超ダイジェストで紹介したいと思います。
 

私が古代史を考えるにあたっては、正史である日本書紀をもとに、古事記や魏志倭人伝などの他の文献や考古学の知見を掛け合わせ、自分なりに最も納得性の高いシナリオを仮説としてまとめていく、というプロセスをとっています。
その前提として、古事記や日本書紀の記述はたいそうな装飾や編集、嘘っぽい創作じみた話、神話など明らかに現実的でない話などが並べられているものの、基本的に何らかの事実や史実、あるいは伝承などに基づくものであると考えています。

さて、日本書紀はまず神代巻で国生み、国譲り、天孫降臨など神様の話が語られます。
イザナギとイザナミの夫婦神が日本の国土である大八洲国を作り、続いてたくさんの神々を誕生させました。
そのたくさんの神々の中で最も重要な神様はアマテラスとスサノオの二人です。
アマテラスは天上の高天原にいて、その孫にあたるニニギノミコトを地上に降臨させ、その子孫たちが天孫族として日本国の建設を始め、のちの天皇家につながっていきます。
一方のスサノオは気性が荒くて天下を治めるにふさわしくないとされ、天上界から根の国に追放され、天孫族と対立する一族になっていきます。
いずれも天上界からやってきたという点では同じです。
 
縄文時代の終わり頃から弥生時代にかけて、大陸や朝鮮半島から稲作や製鉄など当時の最先端技術を携えて日本列島各地に渡来した様々な集団が土着の縄文人と融合して弥生人になっていった、ということが様々な研究の結果、わかってきました。

中国大陸の江南地方あたりから九州の南部に渡来した集団がアマテラス一族、記紀においては熊襲あるいは隼人と呼ばれる一族になり、魏志倭人伝では狗奴国と記されました。
この狗奴国の王(倭人伝では卑弥弓呼)がカムヤマトイワレヒコ、のちの神武天皇です。
 
そして朝鮮半島から山陰地方へ渡来した集団がスサノオ一族で、子孫のオオクニヌシが出雲の国土開発(国造り)を行う一方、一族から分かれたスクナヒコナの集団が大和の纒向へ移り、邪馬台国を建国します。
この邪馬台国を建国したのが崇神天皇です。 (そうです、私は邪馬台国畿内説です。)
 
大和纒向の邪馬台国はやがてオオクニヌシの出雲(倭人伝では投馬国)や九州北部の各国を従えて倭国という連合国家を形成します。
一方の狗奴国は南九州から北上しながら国土開発を続け、ついには北九州の倭国と一戦を交える事態になりました。
この戦いを優勢に進めた狗奴国の王イワレヒコは倭国の本丸である邪馬台国への進攻を決意し、九州の日向から瀬戸内海を通過、熊野を経由して大和へ向かいました。
これがいわゆる神武東征です。
 
しかし、日本書紀には神武天皇が大和にあった邪馬台国、すなわち崇神天皇と戦った、なんてことは一言も書いていません。
同じ天皇家であり、しかも神武は初代天皇で崇人天皇は第10代天皇。この二人が戦うなんて考えられません。
そもそも神武が大和で戦ったのはニギハヤヒだったはず。
 
大和をめぐる動きについては、私はこんなことを考えています。
弥生時代の早い時期に丹後からやってきたニギハヤヒが大和の地を押さえていた。
弥生後期後半、出雲からスクナヒコナがやってきて奈良盆地の東の端っこに邪馬台国を開き、のちに崇神天皇と呼ばれるようになった。
さらに九州の日向から狗奴国の神武がやってきて、ニギハヤヒを取り込んで奈良盆地の南西部の隅っこに拠点を設けた。
3世紀中頃にあたるこの時点で大和には邪馬台国である崇神天皇の政権と神武天皇の政権が並立する状況になった。
こうして二人のハツクニシラススメラノミコト(初めて国を治めた天皇)が誕生することになった。
 
この考えをもとに日本書紀をつぶさに読むと、神武王朝(神武から第9代開化天皇まで)と崇神王朝(崇神から第14代仲哀天皇まで)の間での様々な「せめぎ合い」が見えてくるのです。
 
 
記紀の神代から続く歴史の初期段階はそれを裏づける証拠がないために、いろんな人がいろんなことを言っています。
邪馬台国も同じです。
中国の正史である魏書に明確に書いてあるにもかかわらず、その所在について確たる物的証拠がないために何とでも言えてしまうのです。
でも、だからこそ古代史は面白い。
できるだけたくさんの状況証拠を集めてパズルあわせをしていくと思わぬ考えに行き着き、それを上手く組み立てると意外にも筋の通ったストーリーになる。
言い方は適切でないかもわかりませんが、このパズルあわせとストーリーの組み立てがこの上なく楽しい。
ほかの人が考えついていないストーリーができたときほど満足感が大きい。
そのときはたいがい前述のようなトンデモ説になってるんですが(笑)。
 
そんな考えで綴ってきたのが私のブログ「古代日本国成立の物語」です。
詳しくはこちらをご覧いただければと思います。
昨年の夏から始めて今日現在までで、第11代垂仁天皇までのストーリーを書いてきました。
 
 
さて、これまで14回にわたって私なりの古代史の楽しみ方をお伝えしてきましたが、次回をもっていったん最終回にしたいと思います。
最終回は、古代史の勉強を単なる自分の趣味に終わらせず、セカンドライフを充実させるために何かできないか、もやもやと妄想していることを書いて終わりにしようと思います。
 
 
 
大和 健(やまとたける)
member_02.png
ブログ:古代日本国成立の物語
http://blog.goo.ne.jp/himiko239ru


清田(きよた)日記 男50歳からの資格取得 第15回 行政書士事務所の開業費用  ~その2~

前回に引き続いて、開業費用を検討していきます。
基本個人事務所である行政書士事務所でも、顧客獲得のためのホームページやブログは必要です。ここで、IT関連スキルが大きく影響してきます。
自分でホームページやブログを作成できる人と、そうでない人の差は大きいものがあります。
ちなみに、ネット情報ではありますが、WEB制作会社にホームページを依頼した場合、初期費用で30万円程度。サイト維持費に月額3万円程度。そしてSEO対策に10万円程度が必要になります。
ちなみに、下記費用は自分でホームページやブログを立ち上げた時の費用です。制作会社との比較でみていただければ、本当にリーズナブルなことがおわかり戴けると思います。
何事も持っている人と持っていない人の差は大きいです。


9.ホームページ・ブログの作成(新規PC購入の場合)  小計16万円程度
  
   ホームページ作成ソフト    約2万5千円
ブログ用テンプレート       約2万5千円
新規PC              10万円程度
  レンタルサーバー        初期費用3,000円(月額1,000円)
  ドメイン使用料          1ドメインにつき年額1,500円


*自分でどうしても作成できない人は、知り合いを頼ってお願いしてみることも有効であると思います。


10.予備費(模範六法、判例六法、実務書、講座受講等)  小計20万円程度
開業費として必要な項目をみてきましたが、事務所用に必要になる備品類はまだ発生する可能性があります。また、実際に業務を受託した際に、業務内容を更に深堀して実務書で勉強することも必要であると思います。
そうした諸々の費用を予備費として計上しておきたいと思います。


■1~10   開業費総合計  115万円

いかがでしょうか。
起業の初期投資としては、かなり小さい額だと思います。
とはいえ、これが生きた投資になるかどうかは、起業する我々の努力次第だと思います。
何としても成功したいといった熱き思いなくしては、上手くいかないと思っていますが、全て自己責任で頑張っていきます。


皆様。
長い間、清田日記を読んでいただき、本当にありがとうございました。
今日現在、私は田舎に帰っておらず横浜に暮らしております。
次回は、私が事務所を立ち上げて、奮闘努力している内容で皆様にお会いしたいと思います。
ということで、少しだけ清田日記をお休みさせて戴きます。
読者の皆様のご健康とご多幸を祈念いたします。
再会を楽しみにしております。
ありがとうございました。


2017年 夏


清田 一人(きよた かずと)
member_01.png


男50歳からの古代史構想学(13) 神武も徐福も熊野へ来た?

古代史構想学の第13回目。
皆さん、こんにちは。大和健です。

今回は神武東征と徐福伝説を訪ねる実地踏査ツアーの最終回。
熊野三山をあとにして向かった先が、産田(うぶた)神社、花の窟(はなのいわ)神社、波田須の徐福の宮、阿古師(あこし)神社です。
 
まず産田神社。
ubuta.jpg
  
この神社には主祭神として伊奘冉尊(いざなみのみこと)と火の神である軻遇突智(かぐつち)が祀られています。
日本書紀には「伊奘冉尊は火の神である軻遇突智を産んだ際に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に葬られた」と記されていて、この産田神社は伊奘冉尊が出産して亡くなった場所といわれています。
社殿の両側には日本でわずか二ヶ所しか残っていないと言われている古代の神籬(ひもろぎ)の跡がありました。
神籬というのは神社という形ができる前に神様を祀る神聖な場所として設けられた区画のことです。
ubuta2.jpg
 
これを見ると石を並べて磐座(いわくら)を作ったという印象で、神様が降りてくる場所として相応しいように感じました。

次は、産田神社から車で5分ほどのところにある花の窟神社。
hananoiwa.jpg
 
ここは亡くなった伊奘冉尊を葬った場所とされ、産田神社と同じく、伊奘冉尊と軻遇突智が主祭神として祀られています。
社殿がなく、熊野灘に面した高さ459メートルの大きな岩がご神体となっており、先に見た神倉神社と同様にここでも磐座信仰が見られます。
日本書紀には「この土地の人々は神の魂を、花が咲くときに花を捧げて祀り、太鼓を鳴らし、笛を拭き、旗を振って歌い、踊ります」と記されいて、今でも御縄掛け神事というお祭りが行なわれています。
hananoiwa2.jpg

この2つの神社はまさに神話のテーマパークという印象があるのですが、神武東征が史実であったからこそ熊野の地が地元の伝承とともに日本書紀に記され、そしてその後は日本書紀の記述をもとにテーマパーク化していった、と考えられます。
 
次は波田須という小さな村にある徐福の宮を訪ねました。
国道をはずれて細い道に入り、不安な気持ちで村の中を進んでいくとやがて行き止まりになり、車を停めた目の前がまさに目的地でした。
johuku.jpg
 
徐福伝説は日本各地にあって、今回訪れた新宮や熊野はその中でも本場であるといっても過言ではないのですが、ここ波田須の徐福の宮に立つと、本当に徐福がここに来たと思わせる空気がありました。
この地にやって来たのが徐福本人であったかどうかは定かではありませんが、その昔、この小さな村に流れ着き、言葉が通じない中でも村の人々に様々な技術を伝え、村の発展に貢献した人がいた、としても不思議ではないと思いました。
johuku2.jpg

徐福というのは、秦の始皇帝の命令で3000人の童男童女と多くの技術者を従えて不老不死の妙薬を捜し求めて大陸から東へ船出した集団のリーダーです。
おそらく秦の時代には3000人もの大人数が乗れるような大きな船はなかったでしょう。
100人ずつ分けても30隻、50人とすれば60隻、いずれにしても大船団になります。
大陸から漕ぎ出した大船団が東シナ海を渡るとき、一隻もはぐれずにまとまって航行できたとは到底思えません。
むしろ、風や波の影響、それぞれの船の大きさや構造、荷物の重量の差などもあって、出航後まもなくして船団はバラバラになったことでしょう。
バラバラになった船はそれぞれ自力で目的地を目指して航海を続け、結果、日本列島の各地に流れ着くことになったはずです。
私はこれが徐福伝説が各地に残る理由だと考えています。
 
さて、子供の頃によく聞いた浦島太郎のお話、これまた日本各地に伝えられています。
海の向こうからやってきた見知らぬ男、浦島太郎のモデルは徐福だったのかも知れません。

さあ、いよいよ最後の訪問地である阿古師神社。
もともとはこの神社の先にある神武船団が遭難したと言われる楯ケ崎へ行きたかったのですが、時間と体力の関係で手前の阿古師神社で断念しました。
国道わきの駐車場から海岸へ降りる遊歩道があるのですが、帰りが大変だと不安になるほどの結構な下り道を2~30分ほど行ったところで到着。
akosi.jpg
 
三重県神社庁によると阿古師神社の祭神は三毛入野命、天照皇大神、大山祗命、蛭子命、倉稲魂命となっているのですが、日本書紀によると神武の船団はこの海域で暴風雨に見舞われ、神武天皇の二番目の兄の稲飯命(いないのみこと)と三番目の兄である三毛入野命(みけいいりののみこと)が入水して嵐を収めようとしました。
二人の兄が犠牲になったにもかかわらず、神武の船団は結局ここで難破してしまい、上陸を余儀なくされたのです。
二木島湾を挟んだ向こう側には室古神社というのがあって、そこには稲飯命が祀られています。
地元の人々が命を落とした二人の亡骸を引き上げて2つの神社に祀ったということです。
難破して上陸せざるをえなかった楯ケ崎はこの阿古師神社からさらに30分ほど行く必要があったので断念したのです。
akosi2.jpg

 
以上で熊野ツアーは終了になるのですが、神武天皇が本当に紀伊半島をぐるりと回って熊野へやってきたのか、中国からの徐福は本当に熊野へやってきたのか、を感じて考えることができました。
前者の結論は、神武天皇は熊野へやってきた、後者は、徐福本人かどうかはわからないが大陸からやってきた集団がいた、ということになりました。
ただ、この結論は思考の終点ではなくて、あくまで始まりなのです。
古代史を解き明かす無数のパーツのいくつかが見つかったにすぎないのです。
 
ここまで、日向、纏向、葛城、熊野と実地踏査のレポートを掲載してきましたが、このほかにも丹後・出雲の遺跡や神社、魏志倭人伝に登場する伊都国や奴国と言われる北九州の遺跡など、少しづつ訪問地が増えてきたので、機会があればこの場で紹介していきたいと思うのですが、ひとまず実地踏査レポートはこのあたりにして、次回は私が古代の日本に対してどんな仮説を考えているかを簡単に紹介させていただこうと思います。
 
 
 

大和 健(やまとたける)
member_02.png
ブログ:古代日本国成立の物語
http://blog.goo.ne.jp/himiko239ru


↑ページの先頭へ

Copyright 2010 Second Academy Co.,Ltd All rights reserved.