イギリスはなぜサッカーの代表をオリンピックに派遣しないの?
【第3回:イギリスはなぜサッカーの代表をオリンピックに派遣しないの?】
そろそろ北京オリンピックも間近に迫りました。チベット問題や四川大地震などを抱え、主催国の中国は大変な苦労を強いられていますが、世界のスポーツの祭典はまもなく開催の運びとなります。オリンピックが国威の発揚の場であり、どこの国も一つでも多くメダルを獲得しようと最強のチーム、選手を派遣することを考えています。
ところが、イギリスからはサッカーチームが派遣されません。いうまでもなく、サッカー(イギリスではフットボールfootballと呼びます)はイギリスで生まれ、イギリス人が熱狂するスポーツです。そのイギリスからサーカーのチームがオリンピックに派遣されないのはなぜでしょうか。サッカーの国際大会はすでに国際サッカー協会(FIFA-Fédération Internationale de Football Association)のもとでワールド・カップが開催されています。このFIFAの加盟国数は、国連の加盟国数よりも16カ国多く、国際オリンピック委員会の加盟国数よりも3カ国多いと自負しています。そこでイギリスがよい成績を収めることができるなら、あえてオリンピックに参加しなくても良いと考えているのでしょうか。しかし、イタリア、オランダ、ブラジル、アルゼンチンなどサッカー熱の盛んな国は、ワールド・カップにチームを派遣するかたわら、オリンピックにもチームを派遣しています。
イギリスがオリンピックに代表を派遣しない理由には複雑な背景があるようです。イギリス大使館のホームページでは、次のように説明しています。
「1972年以来、英国のフットボール・チームはオリンピックに参加していませんが、これは英国の4つの地域が別々のナショナル・チームを作りたがっているのに対し、オリンピック規則で英国はオリンピックに1チームしか派遣を認められていないからです。・・フットボール(サッカー)の場合、各チームは、世界のサッカー界を支配しているFIFA(国際サッカー連盟)に加盟する別々の地域の協会を代表しています。ホッケー、フットボール、陸上競技などいくつかの国際スポーツ大会に、英国はイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの各地域を代表する4つの別々のチームを派遣します。」
要するに、イギリスでは、イングランド、スコットランド、ウェールズおよび北アイルランドにそれぞれ独立のサッカー協会(FA―Football Association)があり、それらが国際大会の出場資格を主張しているというわけです。これは、言い換えれば、北海道とか、関東とか、関西とかのサッカー協会がそれぞれ独自に国際大会に出場させよ、と主張するようなものです。オリンピックにはその国を代表するチームや選手を派遣する訳ですから、そのような地域ごとに派遣を認めよと言うのは、所詮無茶な要求ということになるでしょう。日本でも、各クラブサッカーチームで活躍する著名選手、海外組も含めて、現在、反町監督の下に最強のチーム編成を考えています。
どうしてイギリスの各FAがワールド・カップに参加できるのでしょうか。それはサッカーの歴史を振りかえる必要があります。まず、サッカーの歴史は近代オリンピック(1896年のアテネ大会が最初ですが)よりも古い歴史をもっており、また世界のサッカーを取り仕切るFIFAよりも先に、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドに、それぞれの国(national-地域ではない!)ごとのFAが存在していたわけです。
サッカーが正式なスポーツとして定着するのはイギリスのパブリックスクールにおいてでした。将来の国のリーダーに、サッカーを通して「フェアプレー」や「チームワーク」を学ばせようとしたのです。しかし近代的なスポーツに脱皮するためには規則を統一する必要が生じます。それまでは、校庭の広さや形状に合わせて、学校ごとに規則が決められていましたが、19世紀後半以降、鉄道の発達で、対抗試合が頻繁になり、規則を一本化する必要性が生まれました。そこで1863年10月、イングランドにThe Football Association(The FA)が設立されました。(ここにEnglandという名前が入らないのは当然のことです。ほかに類似のものは何もないわけですから、あえてEnglandと断る必要はなかったのです。)その後、スコットランドには1873年にSFA(The Scottish Football Association)、ウェールズには1875年、FAW(The Football Association of Wales)、アイルランドには1880年、FAI(The Football Association of Ireland)が、それぞれ設立されました。しかし細部ではルールの異なるところがあったので、1882年に、これらの4協会が集まって、International Football Associationが設立されましたが、ここで注意してほしいのは、Internationalということです。各FAは「国」を代表し、イギリス国内にすでに国際FAが誕生していたのです。なお、アイルランドは、1949年にイギリスから完全独立をしますが、それにあわせて、FIFAではアイルランド共和国はFootball Association of Ireland(FAI)、連合王国の北アイルランドは、Irish Football Association(IFA) と区別するようにしました。
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左からThe Football Association, Scottish FA, Wales FA(Wales Football Association) Irish Football Association |
最初は、選手たちは、アマチュアで行われ、「アマチュアはジェントルマンである」という明確な考え方がありました。しかし、1880年代にプロ化の動きが始まり、とくに労働者の多い北部の方で積極的な動きがあり、1885年にFAはプロ選手を公認し、1888年からプロ・リーグが始まりました。当時、貧しい労働者の中にはプロで生計を立てようとする選手が出てきたのです。また経済的に裕福になった商人や政治家が、庶民の心を捉えるために、サッカーのサポーターとなりました。
その後、イギリスの政治経済の国際的な役割の増大とともに、サッカーは各国に普及し、国際試合も行われるようになりました。1896年に近代オリンピックがアテネで始まりますが、1908年のロンドン大会ではじめてサッカーがオリンピックの正式種目となります。この時はイギリスがグレート・ブリテンとして統一チームを編成し、金メダルを獲得しています。また1912年のストックフォルム大会でも金メダルを獲得しています。
ところで、このような動きのなかで、1904年にはサッカーの国際連盟FIFAが結成されます。最初、イギリスの4つのFAはこの世界組織に反発していましたが、The FAは1905年、SFAは1910年、FAWも1910年、そしてFAIは1911年にそれぞれ参加します。ただし、その時の条件が、サッカー発祥の地として、この4つのFAは独立して参加することが出来るというものでした。これが、イギリスの4つのFAが独立して、ワールド・カップにチームを派遣することが出来る根拠であります。
さて、FIFAはプロ選手を認めた大会であるのに対し、オリンピックはアマチュアが原則であったので、イギリスのFAはそれほどオリンピックに関心を示すことはありませんでした。しかし、オリンピックでは次第にプロとアマの境界線を厳密に引くことが難しくなり、とくに社会主義国ではそれが困難となり、1984年からはプロの参加を認めるようになりました。そうなると、FIFAとの差別はなくなることになります。そこで、国際オリンピック委員会とFIFAとの間で交渉をし、現在では23歳以下のプロを含めた選手(ただし、3名だけは23歳以上を認める)という条件で、オリンピックのサッカーゲームを行うようになっています。ヨーロッパの代表を決めるのには、ヨーロッパサッカー連盟(UEFA)のもとで行われるU-21(21歳以下)欧州選手権がオリンピック代表選出の予選会を兼ねており、2年後のオリンピックの開催時には23歳以下となる計算になります。しかし、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドのいずれかが4チームに選ばれた場合には、それぞれがイギリスを代表するものではないので、辞退することになっている。今回も、イングランドは代表権を確保したものの、残念なことに、北京オリンピックへの参加を辞退しました。
なぜイギリスは統一チームを編成して、オリンピックに参加しないのでしょうか。ことはそう簡単には行きそうにもありません。統一チームを編成するということは、独立した4つのFAの枠組みを壊す恐れがあるという、強い反対意見があるからです。1960年のローマ・オリンピック大会の時にイギリス代表が結成されましたが、それ以降、実に46年間イギリスは統一チームを派遣していません。
結局、これまで見てきたように、イギリスがオリンピックに統一チームを送らない理由には、その歴史的背景とイギリスが4つのnationによって成り立っているという現実があるからです。イギリスは、正式には連合王国であり、それは4つの国(England, Wales, Scotland, Northern Ireland)からなっており、またユニオン・ジャックのイギリスの国旗は、4つの国のものを合わせたものです。しかし、サッカーについて言えば、まだ統一国家が存在しないということになります。オリンピックをめぐるイギリスのサッカー問題を考えると、改めて国家とはなにか、イギリスという国は何か、ということを考えさせられます。たかが、サッカーと言うかもしれませんが、そこにはイギリス人の歴史と伝統が凝縮され、それぞれの国(地域)に住む人々のプライドがかかっているということになります。イギリスにおける国家意識とは何か、サッカーの問題が提起してくれているように思います。
余談。20012年に、ロンドン・オリンピックが決まった時に、当時の首相、トニー・ブレアは、イギリスの統一チームの編成を強く希望しました。イギリスのオリンピック国内委員会も、その実現に向けて努力をしていますが、現在のところそう簡単に実現しそうもありません。主催国は、無条件に本試合にチームを送ることができるわけですから、こんなチャンスを逃す手はないと思いますが、どうなるでしょうか。
(2008年05月28日)