酉の市:七五三の祝い
浅草の「酉の市」で知られているこの市は、鷲神社(おおとりじんしゃ)の祭礼ですが、江戸時代には、俳人其角の句の「春をまつことのはじめや酉の市」でもわかるように、この祭礼を迎春最初のお祭りと意識されている。今年の暦をみると、4日(丁酉)一の酉、16日(己酉)二の酉、28日(辛酉)三の酉とあり、三つの酉のある年は「活気が在り過ぎて火事が多い」と信じられていた。
この市は歴史的には、江戸花又村(花畑村)の鷲大明神の市が最も古く、江戸庶民は縁起物として売られた熊手と八頭の芋が名物であった。今でも竹製の熊手にお亀の面や模造小判を飾り、年中の福徳を「かき寄せる」「取り込む」縁起物として求められている。18世紀の後半の明和年間以後には新酉と呼ばれた浅草鷲神社の市が大勢の江戸庶民の評判となった。浅草の他にも千住の勝尊寺、浅草鳥越神社、目黒・雑司ヶ谷の大鳥神社、新宿花園神社も賑わっている。
また人生の通過儀礼ともなっている15日の「七五三」の祝い事は、現在でも子供の祝いとして家族的な行事でもある。縁起物の千歳飴の長細い袋を下げた姿が見受けられる季節となる。この儀礼は男女三歳の頭髪を初めてのばす「髪置き」「櫛置き」、五歳では行われる男子の「袴着」の儀式は、碁盤の上に立たせた子に武家では裃・袴を着用、そして七歳の女児の「帯解の祝い」、これは付け帯を止めて帯を初めて着用する祝事で「帯直し」とも云われた。武家の男児は初めて刀脇差・槍や乗馬のための鞍・鐙などの用具を新調し、裃姿で騎馬で供連れで氏神社に参詣する。この年齢は儒教的な道徳から「男女七歳にして席を同じうせず。共に食せず」(「礼記」内則)ということが教育され、異性との区別を弁え妄りに親しまず、男子は文武の道に励み、女子は婦女の道の躾を教育が行われた。
(2006年11月06日)