端午の節句
3月3日の女の子雛祭りに対して、5月5日は男子の節句である。「端午」とはその言葉の示すように、「端(初め)」の「午(うま)」であり、中国の漢代「午」は「五」と音通のため五月五日となった。この日に薬草を摘み「菖蒲根」の酒を飲み、蓬(よもぎ)人形を飾った中国の習慣が平安時代に伝わったようである
この日に粽(ちまき)を食べるのは、中国の戦国時代にべきらの淵に身を投げた楚国の屈原の忌日(五月五日)に姉が弟屈原の霊を弔うため餅を川へ投げ入れて蛟(みずち)祀ったという故事に由来する。この端午の節句が武家社会で祝日とされたのは、菖蒲が「尚武」に通じることもある。武士はこの日に小袖長袴・帷子(かたびら・単衣)で江戸城に登城し、将軍に粽(ちまき)を献上する祝儀が行われた
一般の武士や町人の家庭では、外の飾りの幟旗(のぼりはた)・吹貫(ふきぬき)が変化した矢車の付いた吹貫きの鯉のぼりを飾り、室内には職人によって精巧に造られた邪気退治の鍾馗(しょうき)・武者兜・金太郎や牛若丸の五月人形、太刀や弓などが段に飾られ、町の銭湯では「菖蒲湯」で祝った。しかし、粽(ちまき)はその後柏餅に代わり、「端午の節句」の本来の習慣も次第に失われている。」
小澤富夫(学習院生涯学習センター講師・元玉川学園女子短期大学教授) 写真:©こうげつ人形
(2006年05月05日)