読むほどに深い百人一首
豊島新聞リレーエッセイ
「読むほどに深い百人一首」
吉田いち子(淑徳大学熟議参加者発企画講座コーディネーター)
馴染み深いようで、実は掛詞やなんやかんや、後代の人間には分からないことが多い「小倉百人一首」。この中に娘の清少納言の方が有名な?清原元輔の「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山浪越さじとは」という歌がある。心変わりはしないように約束しましたね。末の松山を浪が決して越さないように。それなのに・・・とでも解釈すればよいのか。元輔が女性に頼まれて代作したという事も言われているが・・・。
末の松山とは和歌の題材とされた歌枕の一つで、この歌にある「末の松山」はJR仙石線「多賀城駅」から徒歩十分位のところに史跡があるそうだ。小さな丘に松があるそうで昔はすぐ近くまで海であったという。そこからまた北へ二キロほどの台地に奈良時代から平安時代には軍事拠点であった多賀城があった。貞観十一年に陸奥国で大地震があり、「新編日本地震被害総覧」で調べてみると、大津波は多賀城下まで襲来したとある。且つこれよりも70年ほど前にも東国東海岸一帯で大津波が記録されている。
歴史・地震津波学の都司嘉宜先生の「貞観地震で末の松山が無事であったのではないか」との説を読むと、当時の住民の人々から自然の大異変は伝承されたであろう。そして、また歌人としての清原元輔の大いなる発想に感心する。
(2014年02月25日)