記憶の形・絵の形
豊島新聞リレーエッセイ
「記憶の形・絵の形」
神尾和由(画家 絵を基礎から学ぶ・パステル画を描く講座担当)
不思議なものです。その土地を離れ、時を経るに連れ、イメージが鮮明になるのです。
最近、故郷の瀬戸も、長く住んだイタリアも以前より近くに感じます。それらは何の障害もなくひとつに合体します。時も所も夢のように自由に組み合わされます。
一度忘れてしまっても、それでも出てくるのを待ってはじめて形になることもあるのです。目の前にある物の表面を写すのではなく「絵の形」を描くのです。立派な絵は描けませんが、心のおちつくまで描き、直し、また描き直してやっと仕上がる自分の絵に、僕は少し救われるのですが、他所の人にはどのように映るのでしょうか。
土埃舞う瀬戸に生まれ、焼物を作る人達の中で育ちました。子供の頃にはあまり好きでもなかった風景ですが、あの土と職人さん達の目と手が僕の原点なのかもしれません。焼物は工芸にも絵画にも彫刻にもなり得るのですから。
先日、山本周五郎原作の「雨上がる」という映画を観て、母校の校歌を思い出しました。「陶器に皆焼きて 代々を経し陶の郷 芸と学相かない いちじるし我が文化」
時は遷り変わりましたが、若い頃、不遜にも、何人かの知恵と技を持ち寄って、≪瀬戸ルネサンス≫を興せないものかと夢想したこともありました。
(2014年02月20日)