豊島新聞リレーエッセイ 「私と茗荷と扇太さん」 吉田和明
私と茗荷と扇太さん
もう三十年以上も前、絵描きの熊谷守一さんの家の裏にあった長屋に住んでいたことがある。その長屋の熊谷さんの家と垣根を接する辺りに、茗荷が群生していた。夏になると、長屋の大家さんが茗荷を採取しにくる。しかし、茗荷は芽を出していない。大家さんはいつも不思議がっていた。犯人は私と、向かいの部屋に住んでいた入船亭扇太さんだ。
私たちは、もう今頃の季節から、芽を出している茗荷がないかと血眼になって探していた。地面に這いつくばってである。今頃の季節にまだ生えているわけはない。しかし、そのお宝のような茗荷をゲットできたならば……。私はそのことに、自分の未来を占う気持ちがあった。扇太さんもそうであったに違いない。だから、扇太さんが地面に這いつくばる姿を見て私は笑ったが、扇太さんは私がそうしているのを見ても、笑うことはなかった。寂しそうな不思議な表情をして見ていた。
あの頃、扇太さんが落語のお浚いをするのを聞きながら、私は売れる宛てのない「吉本隆明論」を書き継いでいたのだ。この季節になると、あの時の扇太さんの不思議な表情とともに、未来に何の勝算もなかった長屋での日々が思い出されて、私は切なくなる。
吉田 和明
(文芸評論家・淑徳大学公開講座「コラムを書く」担当)
→ 講師関連講座(2013年度春夏期)
「吉田和明先生のコラムを書く」
2013年4月4日(木)より開講
(2013年04月01日)