豊島新聞リレーエッセイ 「蛮社の獄の絵描き達」 本田晴彦
蛮社の獄の絵描き達
渡邊崋山という絵描きがいた。
幼名を登(のぼり)という。どこの山に登るのか、と問われて花の咲く山に登るとしたのであろう。華山とも書いた。
今の三宅坂にあった田原藩邸内で生まれている。藩主の名が三宅だったので今日坂の名前として残る。
渡邊家は上位の武士ではあったが、藩そのものが貧しく、父親が病気がちで家計が苦しく貧しい一家であったという。弟や妹が里子に出されたりしている。
登は少年時代から畫を描いて家計を助けるが、鳥居耀蔵の諫言によって三河に蟄居し、最後は主君を擁護し自刃する。遺書は「不忠不孝渡邊登」。このストーリが戦前の軍国教育に利用されて印象が悪くなってしまった、負の作家である。
しかし、近年こういった人々に光が当てられている。
いろいろなところに崋山の作品といわれるものがある。ほとんどが贋作である。崋山の筆致は生き生きとしている。早描きだったと思われる。筆がぴんぴんと跳ねるようで、見ていてすっきりするが、贋作にはそれがない。
大きな力に負けて死んでいく絵描きの一人である。私はここに藤田嗣治や小熊秀雄を重ねてしまうのである。
註)蛮社の獄は巣鴨で起きたという人がいるがそれは間違いである。いまの文京区千石に三宅の君主の隠居屋敷が、林大学の守、すなわち鳥居耀蔵の下屋敷のとなりにならんであったのである。林町は「はやしまち」と読むのが正しい。江戸城から見ると「巣鴨の方」という意である。
本田 晴彦
(美術家・アトリエ村資料室代表・淑徳大学公開講座「デッサン入門講座」担当)
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(2013年03月11日)