豊島新聞リレーエッセイ 「江戸の看板娘」 清水康友
江戸の看板娘
浮世絵は明和二年(一七六五)に錦絵が誕生した事で、より繊細で美麗なものとなった。ここに描かれた主役は妓女や遊女、歌舞伎役者や相撲の力士達であった。悪所といわれた遊里や芝居小屋の世界の人々だが、当時そこは江戸庶民にとって日常生活の場とは異次元の夢の空間であり、江戸の最新モードの発信源でもあった。封建社会の中にあって、身分の隔たりから解放される、庶民にとっての憩いの世界であった。彼等彼女等は、さしずめ今日の人気芸能人やスポーツ選手に当たるのである。
錦絵の創始者といわれる鈴木春信は、遊里の世界の女性だけでなく市井に暮らす女性もモチーフにした。当世に実在し、美人として評判の娘達を描いたのである。彼女等は商家の娘達で、中でも水茶屋(今日の喫茶店が比較的近いか)の女性が多い。谷中笠森稲荷の水茶屋「かぎや」の〝おせん〟は有名で、春信の他に北尾重政や一筆斎文調も描いているので、その美人振りが想像される。少し時代が下ると寛政の三美人と称されたうちの二人、両国の水茶屋の〝おひさ〟、浅草随身門脇の水茶屋「難波屋」の〝おきた〟の美しさは群を抜き、喜多川歌麿が何点も作品にしている。
テレビやネットといったメディアの無かった時代、錦絵に描かれた身近な美女達に人々は憧れ胸をときめかせたに違いない。彼女等の年齢は十六歳から十八歳位で、店先には美人看板娘をひと目見ようと多くの男達が群がったという。もっとも彼女等は自ら茶を給仕する事は無かったようで、その美しい容貌と姿で客を魅了した、文字通りの看板娘なのであった。
清水 康友
(美術評論家・淑徳大学公開講座「江戸時代の絵画」担当)
→ 講師関連講座(2013年度春夏期)
「江戸時代の絵画」
2013年4月3日(水)開講
(2013年02月28日)