豊島新聞リレーエッセイ 「明治改暦と曜日について」 土御門 旭王
明治改暦と曜日について
幾多の改暦にもかかわらず、曜日だけは導入以来一度も変化していない。明治5年(1872年)に、従来の太陰太陽暦を廃して太陽暦を採用することが布告された。1873年1月1日に当たる明治5年12月3日を明治6年1月1日とすることなどを定めた。そのため明治5年12月2日まで使用されていた天保暦は旧暦となる。
新暦導入は、参議大隈重信の回顧録によれば、政府の財政が逼迫していたことによる。旧暦のままでは明治6年は閏月があるため13か月となり、月給制に移行したばかりの官吏への報酬を年間に13回支給しなければならない。
曜日は、本来7つの天体が守護するとされる日のことをいい、曜日が循環する7日の組を週と呼ぶ。
日本語では現在でも各曜日を七曜の名を冠して呼ぶが、日本には入唐留学僧らが持ち帰った密教教典により、平安時代初頭に伝えられた。
江戸時代、借金の返済や質流れの日付計算は月末がわかればいいという理由で、不必要とされ日常使われることはなかった。
現在のように曜日を基準として生活が営まれるようになったのは、明治改暦以降である。曜日だけは平安期伝播以来、途切れることなく連綿と続いているのはいとおかし。
土御門 旭王
(淑徳大学公開講座「風水暦学」担当講師)
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(2013年01月31日)