窓を抜けて 岡野絵里子
夏が近づくと、思い出す物語がある。リンドグレーンの「カッレくんの冒険」だ。カッレは探偵志望の13歳。夏休みの毎日を仲間5人との戦争ごっこで過ごしている。捕虜を救出するため、両親の目を覚まさないよう、夜の窓からこっそり出て行く場面には、小学生だった私もワクワクして夢中になった。
ところが。つい最近、カッレくん三部作を読み返してみて驚いた。窓から抜け出す場面などないのである。カッレも仲間も夜中に家を抜け出してはいるが、いつもお行儀よく階段を下り、玄関からちゃんと外に出ているのだ。小学生の想像力が実在しない場面を作り出していたのだろうか。人の記憶とは不定形なものだ。心の奥にしまう時には、収まりやすい形となり、取り出す時にも、刻々とその姿を変えていく。きっと、私自身が窓から飛び出して行きたかったのだろう。心の望みの形に、記憶が撓っていったのだ。大人たちには秘密の冒険に乗り出すには、窓を抜けるという特別な通路が必要だったのだ。
その大人の一人になって、ただの換気のために、窓を開けている。だが、記憶の物語の中では、何度でも飛び出していく子どもたちがいるのだ。そして、その後をついて行く小さな女の子。その気配を遠い夏の声のように聴く。
岡野絵里子(詩人・淑徳大学公開講座「詩人の童話を読む」担当)
(2012年04月27日)