紫陽花の球 牛山 ゆう子
駅を出て緩やかな坂をくだって行くと、洋品店や喫茶店、医院などの並ぶアーケードがつづき、その先に環状七号線と春日橋の陸橋が見える。
表通りから少し路地に入ると、自転車を漕いで行き交わう人、薫風をたのしむようにゆっくりと歩いている人もいる。
美しき球の透視をゆめむべくあぢさゐの花あまた咲きたり 葛原 妙子
胡桃ほどの脳髄をともしまひるまわが白猫に瞑想ありき
他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水
ここはかつて、葛原妙子の棲んでいた街である。
梅雨時に咲き満ちている紫陽花の球に、天球の遙かな星や嬰児を幻視し、白昼に瞑想する猫の幽くともる脳髄を透視した妙子。原不安を抱えた幻想性が、歌の不思議なクオリアの世界へ誘う。
思えば、彼女の没後すでに四半世紀ほどの歳月がすぎている。紫陽花は何処。古井戸は。
見まわしてみても、あたりのようすが変っているのは当然なのだろう。妙子の歌の幻想性は、寧ろ現実の風景との落差のほうが相応しいのかもしれない。
牛山 ゆう子(歌人・淑徳大学公開講座「短歌の実作と秀歌鑑賞」担当講師)
(2011年10月24日)