銀座に生まれて 野口晃一
チョウシ屋の前が、登校班の集合場所だった。
学校は、今思い出せば小さな校舎だった。4階建てのコの字型をした建物。教室は板張りで、ギシギシいっていたのを覚えている。
学校から帰ると、祖母に小遣いをねだり、酒屋に行き、当時60円だった瓶のコーラを飲むのが楽しみだった。
おやつが終われば、今度は三越によく行った。服部和光の鐘が五時を告げれば、遊びはおしまい。歌舞伎座から押し寄せる和服の人波に逆行して、家路につく。
夕暮れとともに、ネオンの明かりが銀座を妖艶な街に変えていく。
今の銀座は、子供の影も少なくなった。粋なおしゃれなロマンスグレイ、和服の女性さえ、少なくなった。
今後、この街がどうなっていくのかはわからない。今の世代には、今の世代の銀座がある。変わらないでいてほしいという願いと、変わって生き抜いてほしいという願いとがある。
時代の波には逆らえない。僕の母校も、歌舞伎座も、今は形を変えてしまっている。せめて、心の中の銀座だけは、変わらないでいたい。
(Biz Asia㈱代表取締役・淑徳大学公開講座「大学生・留学生支援講座」)
(2011年10月03日)