東北と柳田国男 菊田均
一〇一年前『遠野物語』を自費出版した柳田国男は、岩手県遠野市にほど近い太平洋の沖合で巨大地震が発生することは予想しただろうか。
『遠野物語』(九十九話)には、明治二十九年の三陸大津波(死者二万七千人)の話も記録されている。三陸は、元々津波の多い地方として知られていた。
柳田は西国人(兵庫県出身)だったから、東北地方とは縁がなかった。が、十二歳で兄を頼って関東(茨城県)へ移った時の反応を見ると、出身地との文化の差にきわめて敏感だったことがわかる。彼は「違いのわかる男」だった。わかりすぎる男だった。加えて異常な勉強熱心だったから、「違い」の理由についても、考察を諦めなかった。
柳田が佐々木境石に出会ったのは、三十三歳の時。遠野出身の境石の語る地元の物語を柳田が筆記して出来上がったのが『遠野物語』(明治四十三年)だ。
その一年前、当時農商務省官僚だった柳田は、はじめて遠野を訪れた。その印象は、『遠野物語』序文に書き留められている。
二人の出会いは偶然だった。が、柳田の業績や日本民俗学のその後を考えると、偶然が強い必然性を持つものに見えてくる。それは、『遠野物語』の成功という事実と結びついたものであることは付け加えるまでもない。
菊田均(文芸評論家・淑徳大学公開講座「柳田国男」講師)
(2011年09月26日)