「池袋と山岡鉄舟」 阿部一好
豊島区雑司ヶ谷にある法明寺がある。鬼子母神と言ったほうが分かりやすいかも知れない。その境内に山岡鉄舟の筆跡になる石碑が存在している。「参詣のしおり」によると「衆生の心水清く菩薩の影中に現れる」と記されているそうだ。
巣鴨の本妙寺には、北辰一刀流で知られる千葉周作の墓がある。その横には千葉道三郎の墓石があり、筆跡は山岡鉄舟となっている。また、雑司ヶ谷霊園内でも鉄舟の筆跡による千葉家の墓石を見ることができる。
山岡鉄舟は大変多くの書を残したことでも知られている。鉄舟が書いた肉屋、運送屋、菓子屋、そば屋などの看板が、大正大震災、あるいは戦前までは都内各所で見ることができたという。
ある本によると、朝になって雨戸を開けると、山岡邸ではすでに来客の行列ができていたという。就職の世話から看板やら手紙の代筆など様々な依頼事のために来客が絶えなかったらしい。そして、鉄舟が宮内省に出勤する際には、来客が鉄舟を見送ったというのだ。
鉄舟は明治二十一年七月十九日に胃癌のために五十三歳で亡くなっている。葬儀の際には大雨の中を五千人もの人が押し寄せたという。清水次郎長は子分百人を引きつれてきたともいわれる。また、当時の新聞を見てみると、鉄舟の功績が七日間ほど連載されているものがある。まったく異例なことだ。それだけ多くの人々に慕われていたのだろう。
山岡鉄舟の魅力にはなかなか尽きることがない。
阿部一好(山岡鉄舟研究家・淑徳大学公開講座「山岡鉄舟の世界」世話人)
(2011年09月12日)