シズちゃん 吉田 緑
(1)
平成二十二年三月二十八日日曜日、住まいの近くの市川市行徳支所に行った。帰りに公示書類が貼ってあるガラスケースの前を通った時、目が止まった。
「シーズー犬、五歳ぐらい、市川市原木付近捕獲、狂犬病法・・・により三月二十九日殺処分」書類にこう書いてあつた。
「だめ、だめ、ちょっと待ったー」
私は、この書類の犬だけがこんな処分を受けるわけではないことを知っている。捨てられて、さまよっていて通報されれば警察に保護される。飼い主が五日ぐらいの間にあらわれなければ、その後殺処分となる。
飼い主自ら、飼えないと言って保健所に持ち込む人もいる。共に動物保護センター(地域により名称は違う)に送られ五日目にはガスによる殺処分となる。その後火葬されるが、粉々になるまでの焼却というべき扱いをうけて土に帰るのだ。慰霊碑が立っていて年に一回、供養があるらしい。これが事実である。
なんとかならないものかと常に考えているし、縁あって引き取った犬もいる。愛護団体や、個人的に保護している人もいる。それでも毎年三十万匹が死んでいく。日本では、犬は持ち物で、警察では遺失物の扱い。保健所や役所では、噛まれたら狂犬病にかかる恐れのある危険物だ。
「いい加減にやめようよ。生き物だよ、かわいそうだよ」私は、怒る。怒りながら
「またやっちゃった」と今度が初めてではない犬の保護。犬が一匹増える負担に気づいている。
「見なかったことにするか」自分の中で葛藤するが、書類を見たのにできない。
「とにかくだめ。明日電話だ」こう決めた。
翌日二十九日は、殺処分予定日だ。朝九時に、県の動物保護センターに電話した。
「昨日、行徳支所の公示書類を見たので、その犬を引き取りたい」と申し出た。
「飼い主の方ですか」と聞かれた。
「違います」
「犬の繁殖をされているのですか」と聞かれた。
「違います、ただ書類を見てしまったので見過ごせない、家には、犬がいるし長年犬を飼っているから慣れている、見てからいらないとは言わないから殺処分を待ってほしい」
怪しいものではないことを理解してもらったようだ。殺処分の決まった犬を引き取りたいということがきっと珍しかったのだろう。
私の都合により、三十一日に必ず引き取りに行くことを約束した。
当日、車で出かけた。玄関に繋いであった。「きっとこの子だ、シーズー犬だからシズにしよう、シズちゃんだ」私は、決めていた。覚悟はしていたが臭い、それから声帯を切られていて声が出ない。小さなしゃがれ声しかでないことを聞いた。繁殖犬だったかもしれないと言われた。どうしてこんなになるまで、かわいそうに……。帰ったら洗ってあげてから様子をみて、獣医の先生に診てもらうことにする。狂犬病の注射を打ってもらって、証明書をもらう。それから市役所に併設されている保健センターで登録する。「吉田シズ」家の子になった。登録の際、生年月日の欄がある。不明とは、書きたくない。親しい獣医の先生に相談すると、歯など見たところ六歳位と言われた。三月三十一日に引き取って家に来たので、六年前の三月三十一日を誕生日にした。
五月も半ばとなり、シズちゃんは、家の子になって一か月半になる。可愛がってもらったことがないのだろう、甘えることもしないし、おやつや私の食べているものも欲しがらない。ただドックフードだけを喜んで食べる。外に出ると私の足の後ろにくっついて歩く。それでもペットサロンでカットをして可愛くなった。顔つきが明るくなった気がするし、おなかを出してごろんと寝るようになった。家の犬たちもいじわるすることなく、慣れたようだ。
シズちゃんの気持ちも、ほんとうの名前も、何もわからないが、
「あたしシズって呼ばれてるの、しかたないわ、ここで暮らすわ、ここに来て、怖いことはなかったわ、がんばってみるわ」私の妄想ではあるが、こんな風に思ってくれればいいかな。また
「これから幸せになれば、いやなこと忘れられるかも、いいこともあるさ」とも願っている。そして救えずに、殺処分となっている犬たちのことをもう一度真剣に考えようと思っている。
(2)
シズを引き取ってから、早いものでもう半年になる。半年後に飼育状況を報告する義務があったのを思い出した。書類を書いて、可愛く撮れた写真を添えて千葉県の動物保護センターに送った。引き取られてなんとか幸せにやっているという話の種になればいいと思ったのだ。引き取られる犬が増えなければ、多くの犬が殺処分しかない。かわいそうだ。
少し前テレビで、熊本市が殺処分を無くしたいと色々な試みをして、引き取りを推進し、期限が来ても保護センターで一生懸命世話をしていた。そのかいあって殺処分がゼロに近くなってきたそうだ。そんな希望を少しでも千葉県にもと、写真を送った。
シズは、うちに来て三ケ月ほとんど懐かず、散歩に行く以外は、サークルから出て来なかった。いつでも出られるように開けたままにしていた。
声帯を切られていたので、「ワンワン」と鳴くことができない。可愛がられなかったとみえて懐かないし、先住犬たちのようにおやつを欲しがらない。私の食べているものも欲しがらない。わけ隔てしないということで、食べないのを承知でおやつをあげていた。食べないので、他の犬たちが食べてしまうのもわかっていてそうしていた。
三ケ月が過ぎた六月末、いつものように食べないのをわかっていて、おせんべいをあげた。コリコリと音がした。「あら、食べてる。あらあら、外に出てきた」
二本足で立ちあがってチンチンをしてから、私の座っていた椅子の下に寝そべった。「うぐぐぐー」という、喉を鳴らすような声を出した。コリコリと手を使って私の足を掻いて合図しているのか。
「わかった、わかったよ」と私が返事をしたら、満足そうな顔をした。その日から、サークルの外にいるようになった。先住犬に近づき、ちょっかいを出したが、けんかをしないでうまくやっているみたいだ。
どうしてだろう、よくわからないが、本当にここで幸せになれるか、信じられるか、考えていたのか、それとも余程おせんべいがおいしかったのか。その日以来、おせんべいの他も、もらえるものは何でも食べるようになった。
数日たつと、誰よりも早く突進しておやつをもらい、撫でてくれと愛情を求め、私のそばに来たがる。こんな日が来るとは思わなかった。懐かなくても、殺処分が回避できて食事と身の安全が保障されたのだから、うちで余生を過ごさせてやればいいと考えていた時もあった。明るく積極的になりすぎて、先住犬が迷惑そうな顔をして私に訴える。
私は、シズに「おばちゃん、うるさい」と言う時がある。シズは六歳位と言われているが、もう少し年をとってるんじゃないかと夫はいう。「シズおばちゃん」、元気になってよかった、昔の辛いことは忘れて、「吉田シズ」として生きていけばいいのだよ、と私は言ってみた。
(2011年08月05日)