震災を語り継ぐ鯉のぼり 吉沢 智子
未明の神戸を襲った阪神大震災から十六年目を迎えようとする一月十六日の夜遅くに、現在の神戸を伝えるドキュメンタリー映像が再放送された。神戸では、震災を知らない世代の割合が、人口の三分の一を占めるまでになり、今後どのように震災を伝えていくかが課題となっているそうである。
映像では、震災にあわれた方々の心をなぐさめ、元気を出してもらおうと、静岡の有志の方々から送られた五百匹の鯉のぼりを、毎年五月に上げ続けている方々の活動を伝えていた。どういういきさつで鯉のぼりが神戸の小学校に送られることになったか、その詳細までは映像では語られなかったが、静岡の方々の善意や慈愛の心が、鯉のぼりという形になったのではないかと想像した。
鯉のぼりを送ってくれた静岡の方々への感謝の念や、私たちは今年も元気で生きていますという思いを込めて、毎年夙川【ルビ=しゅくがわ】に上げられた鯉のぼりも、雨風にさらされ十年もたつころには、どんなに補修の手をつくしても、上げられるのは百匹を切っていたそうである。
人々の記憶からも震災がだんだん消えていく。震災を語り継ぐシンボルのような鯉のぼりも、夙川の上に力いっぱいはためき泳いではいても、歳月による記憶の風化は否めない。
なんとしても震災を語り継ぎたいという鯉のぼり活動メンバーの心が天に通じたのでは、と私は思うのだが、そんな時に奇跡的なことが起こる。静岡出身のYさんという神戸に住む方が郷里に連絡をとってくれたおかげで、数ヶ月後には、十年前の四倍もの鯉のぼり二千匹が、元の持ち主一人一人のメッセージとともに届けられたのだった。
昨年の暮れに、群馬の児童養護施設の玄関前に、十個のランドセルが「伊達直人」の名前でそっと置かれてから、日本全国各地で善意のタイガーマスク現象が連鎖しつづけて、海外へも日本のこのニュースが伝えられているという。おととしのリーマンショック以来の経済不況に伴う、若人の就職氷河期や、政治の混迷、昨年の「無縁社会」の実態調査など、先行きの見えない不安の中から、何かまだはっきりとはしないながら、暖かく明るい一条の光のようなものを、神戸の鯉のぼりにも感じることができた。
今年の五月には、夙川の上の空に二千匹もの鯉が泳ぐ姿をぜひ見てみたい。思わずそんな気にさせられた。夙川の鯉のぼりといい、タイガーマスク現象といい、まだまだ日本は捨てたものじゃないぞと、明るく力強い風のような思いが、私の心の中をさぁーっと吹きぬけていった。
(2011年08月02日)