在郷の小学校同級会 藤井 鉄
室生犀星「小景異情―その二」に
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食【ルビ=かたゐ】となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠き都にかへらばや
遠き都にかへらばや
とある。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」とはよく言ったもので、寄る年波に、その思いに懐かしさが加わることは致し方ないことだ。
起き抜けに電源【ルビ=スイッチ】を入れたラジオから「長岡で猪に突き飛ばされた男性が頭に大怪我を負いました。猪は駆けつけた警察官に棍棒一撃で退治されました」淡々とした語りとは裏腹に、私は勢いよく跳ね上げた上掛け布団の中にくぐもった笑いを放った。たまたま「長岡………」に聞き耳を立ててしまった次第である。
故郷【ルビ=ふるさと】長岡は雪の多い所だ。近年はさして降らないとは言うものの、雪の苦労は矢張り大変で、生活路を確保する雪踏みや、屋根に降り積もった背丈程の雪下ろしを厭【ルビ=いと】ったら大変なことになる。昭和三十八年一月下旬、雪は白魔となった。一晩に二回の雪下ろし、市町村は陸の孤島となった。世に言う「三八【ルビ=サンパチ】豪雪」である。
雪は例年だと年末に降り、雪解けの春先までの大凡半年は、雪に埋もれじっと堪える生活でもある。
そんな故郷【ルビ=ふるさと】から同級会のハガキを貰っても、「出席」に傍線を入れ続けていた。学校帰りが一緒のあの子への思いを残したままで、現実を見聞きするのが嫌だった。何せ田舎では嫁入りが早いのだ。
ある日曜日の夕方、腕枕でテレビに見入っていた。リーンリーンと鳴った電話の音が話し声に変わり………暫くすると
「小学校の同級生の方から」
と受話器を渡された。
「もしもし私、分かる?」
「!!!」
「m子よ。今K子M子の三人で同級会のことがんろも、鉄雄君、全然出てこんだすけ、どうしたんがやー」
「…別に……」
「今度初めてI君が来るがいねー。悪ガキ仲間だったんがろー。どーするねー」
「………」
台所からの声は「行ったら」だった。
「嘻【ルビ=アあ】出ます」
受話器を置いたチーンの響きが妙に残った。淡い思いの納めどきだと観念した。
同級会開催地は弥彦山を望む岩室温泉で、新潟平野に田打ちのトラクター音の唸りの響きをそこここ
に待つ、弥生【ルビ=三月】の頃であった。前日は家内の実家に厄介になった。義父によると、弥彦神社には初穂【ルビ=はつほ】料(新米)を吉例として納めているという。農閑期には岩室温泉に湯治したこともあったと言う。私は何かの縁を思った。
弥彦神社案内ついでに送ってもらうことになった。大鳥居の偉大な気に圧倒され、杉巨木の林立する奥に社殿が見えた。ぎこちない二礼二拍手一礼して、荘厳さに感じ入ったのであった。受付時間には早いが会場に送ってもらう。
受付【ルビ=フロント】にも早かった。さして広くもないロビーの奥に腰を降ろした。所在なさに受付【ルビ=フロント】に戻ることにした。
「藤井じゃないか」
「………」
「俺だよ。Iだよ」
「Iか」
ぎこちなさと気恥ずかしさがあった。
「俺、今、会社をしているんだ」
渡された名刺に
「名刺持ち合わせていないんだ」
事の成ったI君の誇らしさがあった。受付【ルビ=フロント】にがやがやとした声がしたのを幸いに席を離れた。
宴席では上座にI君は居た。私は末席に座った。初めて出た私に同級会慣れの面々がする問いかけは、予想はしていたがすさまじいものであった。
「ほら、悠久山に遠足に行ったんがろー。あ~ん時さー、猿に石ぶっつけてたろー」
続く続く………。
「おらたちがK子んちへ遊びに行こうとするといっつも道ばたでじゃましてたんがろうーねかさー」
ああだったこうだったと聞かされる私は、田舎言葉を反芻していた。
「そんじゃあー、間兵衛(屋号)のてこ(渾名)にしゃべってもらうこっつぁやー」
そら来た。
「私は今、浦島太郎状態でいます。代わる代わるにお盃を頂きまして、酔った情けない状態であります。竜宮にはたくさんのお姫様、特に三人のお姫様、お誘いありがとうございました…………」
献杯のやり取りで、戻った席に手つかずの品々は冷めていた。
翌朝、朝湯を楽しんだ後の朝食の席に、覚めた浦島太郎は相変わらずぼ~としていた。
その後の私は、一度も同級会に出て来ない同級生への余計な働きかけを時々していた。浦島太郎を味わせてやる。認知症で覚めない浦島太郎にならないためにも「動けて食べる事のできる今を逃がさないで……」と訴えていた。
ことが現実になったのは、二〇〇八年三月下旬であった。同級会がかって一度も三国峠を越えたことのなかったのを幸いに、霊峰富士山とその雄大なすそ野を大パノラマに見渡せる、箱根・大涌谷に誘ってみた。思いはもう一つあった。食べると寿命が五年十年と延びる黒卵を口にと願っていたのだ。
残念ながらいつもの顔ぶれには寂しい人数になっていた。
嬉しいこともあった。満開の櫻がこの時に合わせたかのように咲き誇っていたことだ。
(2011年07月29日)