運否天賦 氣多 保雄
先日(三月十日)、鎌倉市の鶴岡八幡宮の大銀杏が、折からの強風で倒木したとのニュースに接し、驚いた。この大銀杏は何と樹齢千年、高さ三十メートル、幹の周囲六・八メートルもの巨木で、県・指定天然記念物である。約八百年前に、時の鎌倉幕府の三代将軍源実朝が、この銀杏の陰にひそんでいた兄頼家の遺児である公暁に暗殺され、父頼朝が築いた源氏の武家政治が崩壊した悲劇で有名である。
この大銀杏から西に歩いて三分のところに、私は乳幼児期を過ごしていた。その家の西側一分のところを、南北に横須賀線の省線電車が走っていた。幼児期(二歳前後か)のある春暖の昼下がり、お手伝いのはなさんに押されながら前向き乳母車で散歩に出かけて、その省線の踏切にさしかかったところ遮断機が下りて、歩行者が両側に立ち止まっていた。私には何で立ち止まっているのか理解出来なかったのだろう、乳母車から立ち上がり、遮断機をくぐりヨチヨチと向こう側に渡りかけたところ、まえ後ろからワーワー呼ぶ声、叫ぶ声が聞こえたので、何だろうと立ち止まった。と同時にブオーブオーと大きな警笛が鳴りびっくりして思わずそちらを見上げると、忘れもしない、省線電車の運転手が仁王立ちしてすごい顔でこちらを睨んでいたのだ。思わず怖くてすくんでいたら、後ろからフワッと誰かが抱きかかえ向こう側に倒れこんだ。その直後に、物凄いブレーキ音を軋ませながら電車が行き過ぎ、急停車したのだ。それからはよく覚えていないが、抱いて助けてくれた学生さんと降りてきた運転手が何か話していたり、青くなって飛んで来たはなさんが皆に懸命に頭を下げていたのを思い出す。そして、はなさんと何となくボーとしながら帰宅したのだ。暫くして近所の人が母に知らせたらしく、はなさんが泣いてあやまっているのが聞こえて可愛そうに思い、母はひどいと悲しくなった。しかし今になって考えると、助けてくれた学生さんの名前を聞かなかったことは、確かに叱られても仕方なかったかとも思う。
その後、しばらくは折にふれあの運転手のこわい目を思い出していたが、歳とともに忘れていたのを、この度の大銀杏倒木のおかげで思い出してしまった。
人間だれしも、その一生の間に「九死に一生」の体験に一度ならず何度か遭遇していると思われるが、それを乗り越え克服して過ごして来られたのは、そのひと夫々の天命であり、「運否天賦」に違いない。
私の場合も、この踏切事件の十数年後の学生時代に、廣島で原子爆弾により、まさに決定的な死線をさまようことになった。又その十数年後、今度は国鉄浜松駅構内において、夜行列車の最前席に乗車していて、電気機関車と正面衝突した。それはまさに紙一重の「九死に一生」だったのだ。
ところで、幼児時代の記憶など余程痛烈な印象でもない限り覚えていないはずだが、奇しくも大銀杏にまつわる記憶がもう一つあった。ある寒い深夜のこと、「カンカンカァン、ブーブォーブー」という警笛に皆起き出して庭越しに音の方を見ると、あの大銀杏のシルエットが、その裏側の赤い光に照らされて、夜空にくっきりと浮かんで見えるのだ。類焼の心配か、いや野次馬根性か、兎に角はなさんが偵察に行くことになり、ワーワーわめいて連れていってもらうことになった。はなさんの背中に縛り付けられ、はなさんに早くはやくと一緒に(気持ちは)駆けったのだ。銀杏と広い参道を越した向こうに源平池があり、そのほとりの茶店が燃えたらしく、類焼の心配どころか、池のほとりで一安心だったようだ。何だかホッとしたような、がっかりしたような気持ちで帰途についたのだった。
(2011年06月28日)