「年末に旅する」 山田喜美子
年暮れぬ笠着て草鞋(わらじ)をはきながら 芭蕉
芭蕉の四十代は旅に次ぐ旅であった。そして五十一歳の初冬、旅先の大坂で亡くなった。冒頭の句は、四十一歳の年末を故郷伊賀上野でむかえた時の句である。江戸に住むこと十余年にして「秋十(と)と世却て江戸をさす故郷」の句を読んだ芭蕉にとって、故郷の空も旅の空であったか。
この三年後の年の暮れは、名古屋だった。
旅寝よし宿は師走の夕月夜
旅寝して見しやうき世の煤(すす)はらひ
俗世間の義理や義務から解放された気安さと、果たす務めのない世捨人の寂しさ、孤独感がある。世間の人は、年の暮ともなると、大掃除をし、帳簿の始末をし、正月を迎える準備に追われる。しかし、それを果して迎える正月こそ心安まるものがあるだろう。旅する漂泊者、僧ならぬ僧形の世捨人には、そのいずれも無縁である。その境涯を自ら求めて、ただ一筋俳諧の道につながった芭蕉であるが、年末年始という、この「定めなき世の定め」に遇って、思うところがあったのだろう。さらに二年後「おくのほそ道」の旅を終えた芭蕉は、近江の膳所で年を越し、四七歳の正月を迎える。
薦(こも)を着て誰人(たれびと)います花の春
自ら薦をかぶった乞食になる心がけで「おくのほそ道」の旅に出た芭蕉の、正月に晴れ着ならぬ薦を着た乞食こそ尊しとする心境を表わしている。
年末に旅をするのは、俗世と縁を切った者の特権であろうか。その特権を得たものは、俗世のあわただしい活気からポツンと除け者にされた寂しさを引き受け、味わうのである。
山田 喜美子(俳諧史研究家・淑徳大学公開講座「おくのほそ道」「徒然草」担当)
(2011年01月28日)