豊島新聞リレーエッセイ
歌枕探訪―筑波嶺―
立秋を過ぎたとはいえ、まだ暑さの残る日に筑波山へ登った。
ここは、『後撰和歌集』に収められた陽成院の歌に詠われた「歌枕」である。
筑波嶺の峰より落つる男女川恋ぞつもりて淵となりぬる
「歌枕」は、「和歌にしばしば詠み込まれる特定の地名。名所。」(『日本国語大辞典』)とある。「特定の地名」とか「名所」といっても、神仏にゆかりの場所であったり、歴史的な事件がおこった場所であったり、その背景となる様相は様々である。
また、「歌枕」としてはいうまでもないことであるが、実景を詠み込んでいるとは限らず、イメージが先行している場合が多い。
「筑波嶺」が歌枕として著名であることは筑波山一帯が神話的、歴史的背景を重層させているからに他ならない。『常陸国風土記』に記される「筑波」と「富士」の神話、『万葉集』や『常陸国風土記』にその様相が詳しい「歌垣」の習俗、そして、『古事記』に載るヤマトタケルと火炊きの翁との問答をそのはじめとする「連歌」など、文化的な話題は尽きない。
こうした、さまざまな要素を二つの嶺をもつ筑波山のイメージとして「筑波嶺」の一言に含め、「男女川」の語に連想させて恋の深まりを詠うのが陽成院の歌である。遥か東国にあって、一生涯に見ることもない「筑波山」に対する都人のイメージには寄りそう男女の姿があったようである。
(國學院大學兼任講師・淑徳大学公開講座「万葉集」担当 城﨑陽子)
(2010年10月05日)