リレー東京歳時記
新宿の「文壇バー」今は昔(一)
野田茂徳(筑波大学名誉教授・淑徳大学大学院客員教授)
かつて新宿の「文壇バー」といえば、東口の「ナルシス」、「カヌー」、「風紋」、「ナジャ」そうして西口に「未来―茉莉花」であった。
どの店にもそれぞれ特徴があり、詩人や作家、俳優、映画監督、美術家、舞踏家、建築家、編集者たちがお互いに楽しくまた激しく議論していた。「ナルシス」では詩人や、編集者たちとよく会ったが、とくに辻潤と伊藤野枝の長男の辻まこととよく出くわした。彼は気持ちよくギターを奏でてくれた。
「カヌー」のママはかつてに日劇ミュージックホールの丸尾長顕がそだてたダンサーであり華があった。新宿2丁目の道路に面した店は六〇年安保闘争とその後澁澤龍彦が約したマルキド・サドの「悪徳の栄え」上巻が「わいせつ物」として東京地検が告発したため、裁判では埴谷雄高、白井健三郎が特別弁護人になり、延々と続く裁判になった。当時、店は「現代思潮社」で作品を上梓したもの書きやこれから書こうとしているものたちであふれていた。かつて文通していた詩人の岡本潤、伊藤新吉等と会ったのも偶然「カヌー」であった。岡本は常連であった。
埴谷雄高は「カヌー」が閉店したあとも「カヌー」のママと、かつて「カヌー」で働いていた「ごっちゃん」こと後藤義夫の「ユニコン」それが発展した「らいぶら」にも連れ立ってあらわれ、いつもぼくを見ると「こっちに来ませんか」と誘うのであった。
ぼくはいつも数人の編集者といっしょだったが、「そちらの人たちも一緒につれて」と誘われた。
(2010年03月02日)