豊島新聞東京歳時記リレーエッセイ
手書き文字寸感
鈴木麗薫(書家・淑徳大学公開講座「かな書道」担当)
日本人にとって春と桜は切り離すことのできない関係にあり、一千年以上の昔からそれは変わらない。
一千年前といえば、時は平安。王朝文化が花開きし頃である。その頃、貴族の師弟の必修教養の一つに手習いがあった。力のある貴族は字の上手な人に手本を書かせたし、能書家の手紙はそれが詫び状であっても大切にされた。
清少納言は枕草子の中で「手(字)よく書き、歌よく詠みて、もののをりごとにもまづ取り出でらるる、うらやまし。」と書いており、上手な字への憧憬がとても強いものであったことがよくわかる。
最近は大人の手書き文字に出会う機会がめっきり減った。回覧板、子供が持ってくる学校からのプリント、看板、ポスター、手紙・・かつて大人が書いていた生活の中の文字は活字に置き換えられることが多くなった。心を込めて真剣に書いた大人の文字の激減は、子供達にとっては不幸の一つである。子供達は、美しい大人の文字、個性豊かな大人の文字に直接触れることによって、自然と文字の成長を促されていたからだ。
とはいえ、パソコンも携帯のメールも大変便利。入学、就職、転勤・・春は節目の季節でもある。さて、我々大人は手書き文字との関係をいかに築こうか。
(2010年03月04日)