谷中春秋
谷中は俗に「谷根千」といわれて、根津、千駄木と一体の観を呈しているが、決してしゃれた町並みではない。ここには原宿の若やぎも新宿の喧騒もない。銀座あたりの少し気取った雰囲気もない。古い家や店が楚々として軒を連ね、通りに面した佃煮屋、小さな蕎麦屋やあんみつの店、そして一時代前の雰囲気を醸し出す喫茶店などが立ち並ぶ街である。家の菩提寺である全生庵がこの谷中にある。五月に亡くなった母もここに入った。
谷中界隈は坂も多い。私は元来、坂が好きなのだが、好きということの理由は自分でもよくわからない。しかし、坂の上から鳥瞰する家々の風景が私には親しい。あの家この家で様々な人生を人々は刻んでいるのだろう。そういう人間の生活の臭いが映画の画面から立ち上るように私をとらえるとき、私はそこに人生の滋味を感じるのである。
母も逝って、とうとうこの世に、父母というもののない身となった。親の亡くなるのは避けられない世の習いであるにしても、やはり時折寂しい気持ちが湧き上がってくるのである。死の直後に握ってあげた母の手の暖かさの余韻は私には依然として昨日のことのようだ。
これからの四季折々に、私は、そういう母の感触を求めて谷中の坂を上りたいのである。
(渡部治 淑徳大学国際コミュニケーション学部教授)
(2009年08月17日)