東京駅慕情
野田茂德 (筑波大学名誉教授・淑徳大学大学院客員教授)
東京駅丸の内駅舎は現在大きな工事用フェンスでとりかこまれている。フェンスには、大正三年(一九一四年)十二月二十日開業された当時の東京駅の拡大写真が全面に貼られていて、工事中のとげとげしさがやわらいでいる。その光景はまるで巨人の手で駅舎がやさしく抱かれているようだ。
創建当時の東京駅舎は三階建てで南北にドーム状の屋根あった。外壁は赤レンガで飾られていた。ところが昭和二十年五月二十四日、山の手がターゲットになったアメリカ空軍B29機による爆撃で、駅舎のドーム状の屋根と三階そして二階と焼け落ちていった。
その日の東京駅の焼けている途中の様子を遠くから眺め、また電車に乗ろうとして駅舎に入るが電車は運行できる状態でないことがわかり、混乱状態の改札・出口の様子と崩壊の途中をたしかめて『東京焼盡』に記しているのが、内田百閒である。「夕方近く東京駅へ出て見ると、焼けて屋根もなくなり/焼けた後の東京駅の惨状は筆舌に尽くす所にあらず。廃墟は静まり落ちついているはずだが、東京駅は未だ廃墟でもない。亡びつつある途中である。」と。
戦後、二階建ての駅舎として修復したものが現在の丸の内駅舎であった。それを辰野金吾と葛西万司が設計したように復元する工事が進んでいる。
(2009年02月23日)