豊島新聞リレーエッセイ「東京歳時記」
東京よさこい雑感
永江総宜(淑徳大学国際コミュニケーション学部教授)
私は東上線沿線の大学で教鞭を執っているが、先日縁があって本学の学生が池袋で行われた「東京よさこい」に協力する機会があった。当初は企画の趣旨もよく知らず、学生にも説明できなかったのであるが、都合のつく学生数名に無理を言って裏方をお願いすることにした。いざ、現場に行ってみると学生ともども感心したのが、参加者の「熱気」である。揃いの衣装に鳴子、旗、独自の振り付けで思い思いに舞い踊るグループの数々。中には出番前に円陣を組み、気合いを入れる一幕も。参加者は老若男女、子供までが短い時間ではあるが一体となって観客にアピールする。
翻って、最近の大学生を見てみると、二極分化、いや三極分化しているように感じる。一つ目は何らかの目的意識に燃えて大学に進学し、学業・サークル活動に勤しむ者。二つ目は学業もそこそこに、アルバイトなど大学以外に拠点を見出す者。三つ目はそのいずれにも関心を持たず漫然と無気力に毎日を過ごす者である。言うまでもなく、一番の問題は三つ目であろうが、そこには自分を活かす道を見つけられず、またその機会も持てなかった不運もあるのではなかろうか。思うに、彼らの学校生活の中で、思い切り自分の能力を発現できる時間と機会がどれほどあるであっただろうか。また、その発現が評価される経験がどれほどあったであろうか。
よさこいに限らず、そうした機会を捉えることができた人々は、人生の中で他の人々の何割増かの充実感に浸る恩恵を得ることができた、幸運な人々である。そしてそれは単なる幸運ではなく「自ら求める」主体性、誘いに応じる「協調性」などに、ちょっとしたきっかけが加わることでその機会をつかんだ人々なのであろう。無気力学生に「見習いなさい」などと言う気はさらさら無いが、人生の「充実度」は自分自身に負うところが大きいのである。
(2008年12月02日)