豊島新聞リレーエッセイ「東京歳時記」
護国寺散策
宮川葉子(淑徳大学教授)
大塚にある護国寺は天和元年(一六八一)の建立。開山は亮賢(りょうけん)、開基は桂昌院(けいしょういん)。桂昌院とは徳川五代将軍綱吉の生母である。京都の八百屋の娘であったのが、家光の側室になり綱吉を生んだ。名はお玉。「玉の輿に乗る」とは、ここに始まったのだという俗説まで生まれる程の幸運であった。
さて天和元年とは綱吉が将軍職に就いた翌年。家光の三男綱吉に将軍職が回ってくるとは誰も予期していなかった。しかし、兄達の早世で棚ぼた式に将軍職を得たのである。桂昌院の喜びはいかほどであったか。
息子の治世の安泰を祈り、以前から帰依する亮賢を開山に招き、本尊には、桂昌院の持仏(じぶつ)(守り本尊)の天然琥珀製の如意輪観音を安置。桂昌院と綱吉揃っての参詣もしばしばで、護国寺から江戸川橋に抜ける大通りは御成道(おなりみち)としてにぎわったという。
息子の治世の安泰を祈り寺を造る―母のエゴか。実は綱吉の身長は一メートル二十四センチしかなかったという現実が一方にあった。いかにも見栄えのしない将軍を心から支持する桂昌院に思いをはせる時、そこにあった母親の愛の深さも感じるのである。
(2008年11月25日)