山岡鉄舟について
料亭二葉 十四代 八木忠太郎
山岡鉄舟との関わりを持って20年以上になる。私の仕事は埼玉県小川町というところで、割烹旅館二葉を営んでいる。名物は忠七めし(ちゅうしちめし)というご飯で、鉄舟が命名してくれたものだ。小川町は鉄舟の父の知行地があったことから、度々当館にも訪れていたようである。必然的に鉄舟について勉強せざるをえなくなったが、なにもわからず、手探りをしながらであった。まもなく東京学芸大学名誉教授吉田繁先生との巡り会いから、鉄舟は剣の達人で、そのために禅を徹底的にやったこと、それと同時に鉄舟独特の書ができあがったことなどを教えていただいた。特筆すべきは、江戸城無血開城である。勝海舟の偉業になっているが、実は鉄舟が徳川慶喜の命を受け、薩摩藩士益満休之助と共に西郷隆盛がいる静岡へ命がけで直接談判に行き、江戸は戦火から免れる。正に鉄舟の偉業なのです。西郷は、海舟に鉄舟を評して「さすが徳川公だけあって、偉い宝をお持ちだ。言葉では尽くせぬが、何分にも腑の抜けた人でござる。命もいらぬ、名もいらぬ、金もいらぬ、といったような始末に困る人ですが、但しあんな始末に困る人ならでは、お互いに腹を開いて、共に天下の大事を誓い合うわけには参りません。本当に忠胆なる人とは、山岡さんの如き人でしょう。」と言いました。学び初めてから、私の中の鉄舟は幾ばくか進化したように思う。
(2008年10月03日)