洗足公園と海舟
岡本勝人(詩人・文芸評論家)
洗足公園に勝海舟の墓があるという。JR五反田駅から東急池上線に乗り換えると、洗足池前で降りた。遺言で、ここに墓を建ててほしいと言い残した勝海舟の墓は、洗足池の東側にある。かつて別荘のあったところである。現在は、奥さんの墓も移設されており、仲良く墓が並んでいる。
海舟は、ここから本門寺に陣を置く官軍に出向いた。墓所に行くまでに、日蓮宗の小さな寺があった。門の左手には、晩年の日蓮が養生のために湯治場へゆくときに着物をかけた松がある。池の西側には、生月伝説で知られる神社がある。治承四年、頼朝が石橋山の合戦で一度は敗れたが、船を使って房総に逃れ、下総や上総や武蔵の国の武士を糾合して、鎌倉に入るまえにここに陣をしいた。そのとき、みごとな白い馬が走りよってきた。縁起がよいと、名づけられたのが、生月である。京都の宇治川の合戦では、平氏打倒のため、義経軍のふたりの武将が、一番手を争った。梶原景季と佐々木高綱である。一番手の佐々木高綱が乗っていたのが、生月である。
幕末の三舟といわれる、勝海舟、高橋泥舟、山岡鉄舟。海舟が本門寺の官軍に赴くとき、その胸に去来したものは何であったろうか。鎌倉に入る頼朝が、関東の軍勢が集まるのを待つ思いだろうか。湯治場にゆく晩年の日蓮の思いであったろうか。
(2008年10月02日)