豊島新聞リレーエッセイ
『 蜘蛛の糸 』
香道古心流 黒須 秋桜
梅雨時、思いがけず目を楽しませてくれるものの中に「蜘蛛の糸」がある。
日頃気づかずにいた蜘蛛の巣に、たくさんの滴が宿って美しい造形を見せる。
陽が射すと糸も滴も七色に輝きだして、更に目を奪う。
芥川龍之介の手によって操られた蜘蛛の糸は、短編小説『蜘蛛の糸』となっ
た。数々の悪行ゆえ地獄に落ちた男が、蜘蛛の命を救ったことで、極楽から蜘
蛛の糸を垂らしてもらう。男が上り始めると、数限りない罪人達が続いて上ろ
うとし、これでは切れると思って「おりろ」と喚いたとたん糸は切れ、自分だ
けが地獄から抜け出そうとした男も再び地獄へと落ちてしまう。
人情の薄れた現代人には耳の痛いくだりである。
この小説は、大正七年に「赤い鳥」という童話雑誌で発表された。雑誌を創
刊した鈴木三重吉が近くに住んでいたことに因んで、『赤鳥庵』と名づけた建
物が目白庭園にある。回遊式日本庭園で池や滝があり、都会の喧騒を忘れさせ
てくれる。
小説の中では、地獄から極楽まで何万里も糸を上らなければならないが、こ
こは目白駅から五分。三途の川も金次第というけれど、庭園散策は無料。蜘蛛
の糸を眺めながら、ひととき極楽気分にひたれるかもしれない。
(2008年09月29日)