豊島新聞リレーエッセイ
「池袋の場所の物語」
出版社「之潮(コレジオ)」代表 芳賀 啓
池袋西口のメトロポリタンホテル裏から南東へ、JR山手線をくぐって雑司ヶ谷の脇を抜け、護国寺へ向かう音羽一丁目のまっすぐな通りを南下して江戸川橋際で神田川に注ぐのは「弦巻川」。
もう川跡さえ定かではなくなりましたが、明治も末年の地図で見ると、山手線の外側までその川の両側、狭い範囲ですが田圃がずうっとつづいていたのです。その川跡をたどって、途中雑司ヶ谷霊園の夏目漱石や泉鏡花、永井荷風といった人々の墓に詣でる路は、季節にかかわらず落ち着いた喜びを引き出してくれるものです。もし気が向けば、都電荒川線に乗って終点の早稲田まで行くか、あるいは反対に三ノ輪橋まで足を延ばして、吉原遊女の「投げ込み寺」として知られる浄閑寺を訪れるのもいいでしょう。「かつてあって、いまはない」場所をたどる時間は、私たちの「現在」を逆遠近法で照らし出してくれます。
都市の地形は、多く「坂」として語られてきましたが、その坂がつないでいたのは谷と尾根という二つの地形でした。歩いてみれば池袋にも谷はあり、尾根は通っています。私たちが日頃意識しない都市の地形は、場所の物語を秘めて太古の昔からそこにあるのです。
(2008年09月26日)