エッセイを書く(12)
水仙の思い出
吉沢 智子さん
私は、「小江戸」と呼ばれる川越に住んでいる。もともと川越の生まれなのだが、六年ほど所沢に住み、四年前に川越にもどってきた。住んでいるアパートから歩いて百メートルも行かないうちに、龍池辨財天(通称うし弁天)という湧水池に突きあたる。
この池には伝説がある。はるかな昔、仙芳という仙人が、このあたりは霊地であるからお寺を建てようと場所を探していたのだが、ある日白髪の老人に出会い、袈裟をひろげただけの土地をやろうと言われて袈裟をひろげるとどんどんと広がり、大きな入り江をみるみる覆ってしまった。白髪の老人とは入り江の龍神の化身で、龍神が住む所がなくなってしまうと嘆いたので、仙人は小さな池を残し、辨財天を奉ったのがこの池といわれている。
仙波という地名も、かつては海に近かったことの名残なのだろうか。うし弁天の西側のバス通りを百メートルほど歩いていくと、縄文前期のものと思われる仙波貝塚がある。
年明けにふらっとうし弁天に行った時、水仙の花が咲いているのに気がついた。仙(、)波の、仙(、)芳仙(、)人の伝説がある湧水(、)池に咲いている花が水仙というのは、ごろ合わせのようでもあり、なんだかおかしくなってククッと笑ってしまったのだった。
うし弁天でなくても、水仙は水辺を好む花らしい。ギリシャ神話でも、ナルキッソスという美少年が水面に映る美しい姿に恋いこがれ、自分の姿と気づかずに水に落ちて死んでしまい、少年の死を悼んだ神々が、少年を水仙の花に変えたと伝えられている。
ナルキッソスの話などまだ聞きもしない幼稚園の園児だったころ、私の一番好きな花は水仙だった。それも水仙なら何でもいいというのではなく、黄色くて花びらが大きく華やかなラッパ水仙ではなくて、花も小さくて白い、ラッパ水仙よりは地味な印象の日本水仙が好きだった。当時、
「好きな色はなあに?」
と聞かれたら、
「きみどりいろときいろ、その次みどり」
と考えることなく答えていただろう。水仙の花の中心は黄色、茎は黄緑、葉は緑色で、五歳児の好きな色全部を水仙は身にまとっているのだった。
水仙が好きだったのは、その香りが好みにあったというのも大きな理由だった。バラやスズランは香水にもなるくらいよい香りがするようだったが、園児の私には、ちょっと刺激が強かったのかもしれない。バラの香りは、やっぱり大人の香りなのだろう。
色だけではなく、何の花が好きかなんて質問をされたことはなかったけれど、
(私の一番好きな花は、日本水仙。ラッパ水仙ではなく)
と心の中で何回も言っていた。
小学校五年生くらいだったか、『シベールの日曜日』という映画を見にいった。戦争で精神を病んだ青年と、お金持ちの家に引きとられた少女のお話だった。クリスマスの日に、少女は青年に
「私の本当の名前は、シベール。フランソワーズではなく」
と告げる。シベールもその青年に秘密をうちあける前は、何度も何度も心の中で、
(私の本当の名前は、シベール)
と言っていたにちがいない。
それから、水仙のことはすっかり忘れてしまい、その時々で好きな花は変わっていった。青い矢車菊が好きだった時もあり、りんどうやキキョウの花が好きだったこともあった。バラやカーネーションを引き立てるために添えられる、かすみ草が好みだったこともあったように思う。
アパートの、陽がほとんどあたらない小さな庭の片隅でも、二月に入って、日光が少し強くなったと感じる今ごろになると、だれが植えたのか、水仙の花のつぼみが二つ三つふくらんできているのに気づく。
寒い冬を過ごして、日一日開花へと向かっている我が家の水仙に、思わず心の中で、
(もうすぐ、花が咲くんだね。うれしいね)
と話しかけていた。
(2008年08月07日)