エッセイを書く(7)
トンガからの歌声
川原吹 香さん
~突然ですが、今日、NHKの番組に出演して、トンガの歌を紹介します~
深夜、一通の電子メールが届いた。
NHK衛星放送で「地球アゴラ」という二十分弱の番組がある。インターネットを使い、世界各地で暮らす日本人とNHKのスタジオを映像で結び、身近なニュースやテーマについて会話するという生放送番組だ。今回は世界各国の歌が特集され、私がトンガ王国へ旅行に行った際にお世話になった、民宿を経営している日本人の女性が出演するというのだ。
スタジオと各国が、次々とカメラで結ばれ、歌が紹介されていく。ブラジル、インド、ネパール。そして……トンガの歌声や映像がテレビで流れた。懐かしい……。この国では生活の中にはいつも歌があり、悲しい時も嬉しい時も歌うそうだ。歌を贈る文化もあるとのこと。そんな話もしていた。
トンガの歌は非常に力強く、美しい。それは彼らの体格も影響しているのかもしれない。トンガ人は、ポリネシア人の中でも、特に大きな体をしている。骨格がしっかりしていて、肉付きもすばらしい。「太っている程美しい」とも言われている。その体格だもの、歌にもパワーがあるのだ。太平洋の広さや、大航海に挑む古代ポリネシア人たちのたくましさなど、壮大な世界が想像できる。
それからハーモニーが美しい。少しすっとぼけたようなメロディーが魅力なのだ。西洋の五線の楽譜には納まらないのではないか? と思える微妙な旋律は、心地良い貿易風の中に居るような不思議な感覚になる。
私は八年前、そんなトンガ王国に旅行した。赤道を挟んでハワイのちょうど反対側よりやや西側に位置していて、およそ百七十の島から成る。年間を通して温暖だが、常夏ではなく四季がある。私が行った九月は日本の春先に当たり、朝晩は上着が必要だった。
久しぶりに彼らの歌声を聞き、私は、トンガに置いてきた忘れ物の事を思い出した。
首都のある島から飛行機で離島へ渡り、さらにヨットで周辺の小さな島巡りをした。見たこともないような、濃い真っ青な海と澄んだ風の中に、時折くじらの親子を見ながらのクルージングで、ヨットはとても小さな島へ停泊した。しばらく、その小さな島の岸辺での自由時間となり、水中眼鏡だけを持って、岸に上がった。
島の小さな女の子が二人現れたので、ひとこと話しかけたら、すぐに仲良くなることが出来た。手をつないで岸辺を歩いたり、水かけっこや追いかけっこをして遊んだ。
女の子たちは私の持っていた水中眼鏡に興味を持ち、貸してあげると大喜びではしゃぎながら、海に顔をつけたり、もぐったりして遊びだした。しばらくすると、「この水中眼鏡を別の友達にも貸してあげてもいいか? 」と言うので、「もちろん」と答えると、女の子の一人が、男の子二人を呼んできた。男の子二人も興味深そうに水中眼鏡を使って遊びだした。
私はまさか、子供たちが水中眼鏡にこんなにも興味を持つとは思っていなかったので、驚いた。海の中を覗いたり、もぐったりすることは、彼らにとって日常茶飯事のお得意分野で、水中眼鏡があろうがなかろうが関係ないであろう。私の水中眼鏡は、縁もグラスもピンク色だったので、最初はその色が珍しいのかな? とも考えたが、そのはしゃぎようを見ていると、海の中を見ることが出来る「道具」としてではなく、水中眼鏡という「物」自体に接する事を楽しんでいるようにしか見えなかった。
使い方は知っているようなので、初めて触るものではなさそう。私たちのように、時々訪れる観光客や来訪者たちが持っているのを見たり、借りたりしているのだろう。小さな島だし、離島からさらに離れているので、物が非常に少ないのであろう。水中眼鏡は貴重品なのかもしれない。たまに手にすることが出来るその貴重品を、自分だけでなく友達にも教えてあげようという気持ちにもうれしくなった。
真っ黒な目をキラキラ輝かせ、島の来訪者を歓迎してくれて、私と遊ぶ事を心から楽しんでくれて、なんの曇りもない明るく大きな笑顔をしていた。表情だけでなく、体全体からその喜びが伝わってきた。いつもと違う人に興味を持ち歓迎する。一緒に遊んで欲しいって思う。友達を思いやる。楽しさや嬉しさを体全部で表現する。輝くような笑顔になる。きっと子供は本来、みんなそうなのであろう。
貨幣価値や生活スタイルの違う土地の人たちに、高価な物をあげて一時的に一部の人を喜ばせることが良いとは絶対に思わない。だけどこの水中眼鏡なら、最後に置き土産としても大丈夫だと思った。
ランチの時間だからと、停泊しているヨットの船長に呼ばれた。私は水中眼鏡を持ち「ランチを食べてくるね。また後であそぼうね」と言って、ヨットに戻った。「また、後で」「また後で!」と四人の子供たちが言ってくれた。しかし、予定外にもヨットはランチと同時に出発してしまった。私は戻れなくなってしまったのだ。水中眼鏡も渡せなかった。ものすごく切なくなった。ごめんね……。
一瞬、「あれ? 」という表情だった子供たちは、すぐにさっきのままの笑顔に戻り、出発する私たちのヨットに向って、大きく手を振ってくれた。きっと、来訪者が長くは島に留まらないことを知っていたのだろう……。
私がトンガへ忘れてきた物は、「もう帰るね。さよなら」の言葉と、渡せなかった水中眼鏡。もし今、再びトンガのあの小さな島へ行ってピンクの水中眼鏡を見せたら、思い出してくれるだろうか……。八年たった今、あの子達はもうそれぞれ十代半ば~後半。ポリネシアの人たちは、十代後半になると、幼少期の頃には考えられないような大きな体になる。
あの子達ももしかしたら、トンガの歌声を支えるような大きな体の青少年に成長しているかもしれない。
(2008年07月31日)


