エッセイを書く(5)
母への手紙
岡田 照子さん
十月六日、入間川原で安比奈親水公園まつりが行われていた。芝生が広がっている真ん中に、季節の花が植えられている。今はコスモスとマリーゴールドが咲き乱れていた。
このまつりでは毎年花摘みが行われる。もうすぐ全部掘り起こされて、冬の準備をするためでしょう。毎年行われるので、ハサミを持って来てたくさん切っている人もいる。私もコスモスとマリーゴールドを手でちぎったが、なかなかうまくちぎれない。自転車の前かごに入れて持って帰ってきた。無残にしおれてしまった。それでもかわいそうなので、水をいっぱい入れたガラスの花瓶にコスモスを入れて、玄関に飾った。次の日、玄関のコスモスはピーンと生き返って、淡いピンク、濃いピンク、白と色とりどりに咲いていた。
このコスモスを見ていると、十数年前の十月中旬に亡くなった母の事が思い出された。最後の一年間は寝たきりになってしまった。その母のために一週間に一回ぐらいの割合で絵手紙を書いて送った。ボールペンで自己流に、庭の花や季節のもの、また我が家の近況などを書いていた。「お変わりありませんか。庭のホトトギスが咲きました」等と、簡単なことばを添えたものでした。少し耳が遠くなり、テレビを見ることもなく、私の絵手紙を楽しみにしていたそうです。いつも枕もとに置いていて、見舞い客が来るとみんなに見せていたそうです。従姉が、すごくうれしそうに見せてくれたと言っていました。
お葬式のとき、母の棺の中に入れてあげようと思ったが、兄が大切にとっておいたほうが良いというので、束になって私の手元に残った。私は最後の絵手紙を急いで描いて、母の棺の中に入れた。それがコスモスの花の絵でした。
今、コスモスがきれいに咲いています。天国でやすらかに……。
このような言葉も付け加えたと思います。田舎のお葬式なので、家からお墓まで歩いて行きました。暖かな穏やかな日で、畑のすみのコスモスが淡いピンク、濃いピンク、白と咲き乱れていたのが、私の心の中にいつまでも残っていました。
コスモスを見ると、そのことがいつも思い出されるのです。
(2008年07月29日)