エッセイを書く(4)
子どもの頃の思い出から
岡田 照子さん
夫は六人兄弟です。俺は兄も姉も妹も弟も全部いるのだと、いつも自慢している。この頃、子どもの頃の話に夢中になるのは、歳をとったせいなのだろうか。
先日、義妹の次男の結婚のお祝いを持って、兄弟誘い合って笠間の義妹のところまででかけた。長男夫婦、次男の我が家、三男の弟夫婦の六人でした。
義妹の家で昼食をごちそうになっている時、白菜漬けが出た。真ん中にゆずの千切りがこんもりとのせられ、花のようにきれいに小鉢にもられていた。
「おいしい」という声に私は、
「白菜漬けは少し漬かって、すっぱくなりかけたのが好きなの」と言った。
「あれはおいしいよね。俺は黄色いところが好きだ。あったかいごはんに白菜を海苔のように巻いてたべるのがおいしい」と義弟。
「いや、白いところ、よく漬かった白いところの方がおいしい」と義兄。
それを発端に、子どもの頃の食べ物の話に華が咲いた。義父も義母も教員をしていたのに、本人たちはもとより兄弟たちも好き嫌いが多い家族だった。川魚はいや、塩辛はいや、いんげん、酢の物は食べない。数えたらきりがなかった。
昼食に、隣がうなぎやさんなのでうな重をとってくれた。
「昔食べられなかったうなぎも、おばあちゃんが食べるようになったら食べられるようになった」と義弟。義弟の妻が、
「食わず嫌いなのよ」
うなぎやさんの親戚が出来、おいしいうなぎをいただいて食べてから、おばあちゃんは食べられるようになったようだ。
「おいしいものを食べれば、好き嫌いなく食べられるのよ」と私。
子どもには素材の良いものを食べさせることをモットーとしている私なのです。
義兄が、
「昔、さんまを一箱買ってぬかづけにしたのがおいしかった。焼いたのをいっぺんに二本ぐらい食べてしまった。あれはおいしかった」と言った。
三人ともお酒が入っているので言いたい放題。このうなぎはしょっぱい、ご飯が多い、とうるさい。みんな半分ずつしか食べられず、一個ずつ持って帰って来た。
ぬかづけさんまも、年代によっては知られていない。義兄夫婦と私達夫婦には通じるが、義弟たちにはあまりなじみがない。一番若い義弟の妻は全く知らなかった。そんなにおいしかったなら今度作ってみようかな、と言っていた。ものの無い時代だったのでおいしかったのだと思う。
義弟たちは肉屋さんで売っていた一個三〇円のコロッケの時代なのです。コロッケは小中学生のおやつだったのです。肉屋さんなどない田んぼのなかの我が家は、小学生のときコロッケなど食べた記憶がない。
自転車の後ろに魚を積んで売りに来ていた、女の魚屋さんと男の魚屋さんから買った魚の記憶が多い。私の兄や姉は、鰹の刺身が好きだった。私は貝です。うすい橙色をしていたのでアオヤギではないかと思う。それを酢の物やぬたにして食べるのが好きだった。
魚とりが趣味だった父の捕ってきた、やまべ、鮒、どじょう、たんけ(からす)貝などが常備食として食卓にあった。うなぎも、おじいさんが頭をきりで刺してさばいていた記憶がある。
兄弟でも戦前生まれと戦後生まれでは、食べ物の記憶がだいぶ違うようだ。子どものときのおいしかったものの話は、昼食会で話題が広がり、今度みんなでおいしいものを食べに行こう、兄弟みんな元気なのだがら旅行に行こう、と話が発展していった。
とりあえず、一月十三日の甥の結婚式の後、お台場のホテルに泊まって、次の日東京見物することになっているので、また、昔の話に華がさくことになるでしょう。
余談になるが、三越で白菜の古漬けを買った。ちょっと酸っぱくておいしかったので次のときも買ったが、今度は塩が涸れていなくてまずかった。自分で漬けようと白菜を二個買ってきた。最初は塩だけで漬け、次にゆずや唐辛子を入れて二度漬けした。買ってきたのよりはおいしくなったが、白菜の甘みが無い。これは白菜そのものの味が悪かったのだろう。だから、甘くてうまい味が出ないのだろうと思った。やはり素材が大切なのです。
(2008年07月28日)