エッセイを書く(3)
私の趣味
あけぼの 春子さん
私の趣味は、骨董市散策だ。
神社や寺の境内で日にちを決めて催される市。古伊万里や李朝の磁器などの高級品を扱う店から、古い玩具のがらくただけの店まで種々雑多である。
最近は古い着物を売る店が人気で、人だかりができている。客の大半は年輩の女性だが、商売人らしき男性客も来ていて、良い着物の取り合いもある。大量に買いこんで、山のような包みを抱えている。値段の交渉も、馴染み客とは和やかに楽しそうである。次はどういうものが欲しいとか、どれくらい欲しいなどと、連絡先を教えて信頼関係ができている。
それと対照的に、自分のブースに客が立つやいなや、「まけん!」と睨みつけるように言う店主や、異様に愛想よく近づいて値引きを強調する店主、客より他の店を視察し情報交換に勤しむ店主等々、様々である。
骨董市には商品のおもしろさだけではなく、独特の雰囲気の放つ匂い、さまざまな人種(店主も客も)の存在など、普通の買い物とはちょっと違う楽しさが溢れている。
骨董市そのものに興味のない人もいるし、古い物や人の使った物を嫌がる人もいる。その為、市に一緒に行ける友人は限られている。そのひとりのA子さんは、値切るのが上手だ。「どうしよう……」と迷う仕種が上手なのか、時間のかけ具合が手頃なのか、大抵の店主は根負けして思った以上に負けてくれる。時間がかかりそうな時は、私は程よい距離で別の店を見ている。そこで気になるものを見つけた時は、あとでA子さんに来てもらう。これまでの経験に照らし、今日を逃しては駄目なものか、希少性はあるか、おもしろさの程度は、価格は見合っているか、など冷静(?)に指摘してもらう。
とはいえ、先日は九谷の皿を買ってしまった。形は楕円がかった菱形で、銘々に鯛や野菜の絵柄が美しい。六枚あったのだが、予算の都合で五枚だけ購入した。A子さんもすでに小鉢を買っているので満足感が溢れている。だが二人の買い物が終わったあとで考えてみると、冷静だったとは言えないかもしれない。二人とも財布の中はすっからかん。ランチは盛りそば一枚で我慢、ということになった。けれども目的を達成した充足感に浸りながらの食事は美味しい。収穫を認め合い、自戒と反省も含めて、新しき発見を延々と話し合った。
高級品は買えないが、雑多に並ぶ中から何かしら心にひっかかったものを手に入れる喜びが、骨董市にはあるように思う。この人形は、このレコードは、ひょっとして、かつて私が持っていたものではないか、引越しで仕方なく手放したものではないだろうか、と思わせるようなものに出会うこともある。その瞬間、タイムスリップしたようにその当時がよみがえる。買ってきた商品も、私の先祖の誰かが手にしていた可能性だって、なくはない。何かの縁で時を経て、私の手に戻ってきたのかもしれない。そんな想像がどんどん膨らんでいくから、骨董市散策は本当に楽しいのである。
(2008年07月25日)