エッセイを書く(2)
杉村春子について
あけぼの 春子さん
杉村春子、私を初めて泣かせた意地悪な人。と言っても、観客の私が、映画の中の小母さんに泣かされたのである。
伊藤左千夫の小説『野菊の墓』を映画化した、『野菊の如き君なりき』の中で、杉村春子は主人公の少女を苛める旧家の女性を演じていた。その女性の冷たい仕打ちに、小学生の私は憤りとやるせなさを感じ、涙が止まらなかった。薄幸の「民さん」が死んでしまった悲しみはもちろん大きかった。しかし、その死を招いた封建社会の理不尽さ、理不尽と思いながらもそれを受け入れて当然とする社会、その象徴が杉村春子演ずる人物だった。憎らしくて、悲しくて、腹を立てたものの、その感情を沸き上がらせたものは杉村春子の演技だった。時がたつと可憐な民さんの顔も浮かばなくなったが、役になりきっていた杉村春子のすばらしさは鮮明によみがえる。
先日、テレビで杉村春子の特集番組を見た。広島訛が抜けなかったこと、鼻濁音ができなかったこと、容姿が優れていたとは言えないこと――マイナスをプラスに転じて成功する人はどの世界にもいるが、杉村春子もそういう人だった。僅かな才能(彼女の場合は僅かではないが)でも努力によって報われると信じ、年齢を超越して精進し続けた。
それだけに、若い劇団員の不勉強、努力不足を叱った。文学座の団員は、きつい言葉で本当(、、)に(、)泣かされたという。厳しさは優しさだと気づいた人だけが、残っているようだ。
杉村春子は女優であるから、演技がすべて。芝居ごとにその役になりきっている。芸者を演ずる時は、子供の時からその世界で育ったかと思われるほど、花柳界の人になっている。武家の内儀の役なら、その階級の生活感やプライドが仕種にあらわれている。
小さな身体を舞台で大きく見せ、感情の移ろいを際立たせるための小物使いも巧みだった。例えば、白いハンカチをはらはらと振る。手の先よりも、ハンカチを使うことで揺れ動く感情が広がる。舞台では却って美しさを膨らませることができる。日本舞踊の所作を取り入れた着物姿の美しさ、特に肩の線の美しさで、彼女以上に色っぽい人はいないように思う。
代表作は、『女の一生』。主人公の少女期を演ずるのには、高齢になってからは、舞台とはいえちょっとどうかな、と思う場面もあったけれど。映画で泣かされた私を励ましてくれたのも、杉村春子だ。主人公、布引けいの心情を布引けいになりきって述べた、「……自分で選んだ道だから……」。この台詞で、私は自分を納得させ、今までの節目をどうやら通過して来た。
何の関わりもないとは言え、何かの縁で私の心に残っている杉村春子、なんとすばらしい役者ではないだろうか。
(2008年07月24日)